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  • 2015.07.11 Saturday
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ウェミック ―法律事務所職員―

以下『大いなる遺産』から引用
   (チャールズ・ディケンズ、山西英一訳、新潮文庫)〜


「ウェミックさん」と、わたしはいった、「ひとつあなたの意見を聞かしていただきたいんですがね。ぼくは、ある友だちをぜひ助けてやりたいと思ってるんです」

 ウェミックは、そんな手もつけられん気弱い話なんか絶対反対だといわんばかりに、郵便ポストの口をぐっとしめてしまって、首を振った。

「その友だちというのはね」と、わたしは言葉をつづけた。「商業界にのりだそうとしてるんですがね。金がないんで、はじめることができないでがっかりしてるんです。で、ほくなんとかしして助けてのりださしてやりたいんです」

「金を少しだしてですかね?」と、ウェミックは鋸屑(おがくず)よりももっとかさかさな調子でいった。

「少しは金をだしてです」と、わたしはこたえた。家においてある、あのきちんとそろえてつかねた書付けの束の不安な幻が、ちらっと頭をかすめ去ったからである。「多少の金はだして、それから、ぼくが遺産を相続するということを多少見こんでです」

「ピップさん」とウェミックはいった。「ちょっとですね。あのチェルシー・リーチ辺までのいろんな橋の名を、わたしのこの指でひとついっしょに数えあげてみましょうよ。ええと、まずロンドン橋が一つと、…(略)…」彼は金庫の鍵の柄をてのひらにあてて、橋を一つ一つ、じゅんじゅんに数え上げた。

「そら、六つもありますよ、どれを選ばれるにしてもね」

「いったいなんのことか、おっしゃることがさっぱりわかりませんよ」と、わたしはいった。

「橋をひとつえらんでですね、ピップさん」とウェミックはこたえた。「そこへ歩いていって、その橋の中央のアーチの上から、あんたのお金をテームズ川の中へ放りこんでごらんなさい。そうしたら、その金がどうなるかおわかりでしょう。…(略)…」

 彼は、こういっておいて、ものすごく大きな口をあけたので、新聞紙を投函することができるほどだった。

  …(略)…

「すると、あんたの意見としては」と、わたしは少しむっとしてたずねた、「人間はけっして――」

「――動産を友人に投資してはならぬ?」と、ウェミックはいった。「もちろん、してはなりません。その友だちをすててしまいたいというんでなかったらです……(略)……」

「で、そりゃ」とわたしはいった、「あんたの十分熟慮された上での意見なんですか、ウェミックさん?」

「そりゃ」と、ウェミックはこたえた。「わたしのこの事務所における熟慮の結果の意見です」

「ははあ!」と、わたしは、この辺に彼の抜け道があるんだなと思ったので、さらに問いつめるようにいった。「だが、ウォルワスでもそんなお考えでしょうかね?」(注 ウォルワス=ウェミックの住居)

「ピップさん」と、彼はまじめな調子でこたえた。「ウォルワスはウォルワス、この事務所は事務所ですよ。ちょうど年寄りとジャガーズさんとがちがうようにです。二つをいっしょくたにしちゃいけません。わたしのウォルワス気分は、ウォルワスでなくちゃわかりません。この事務所じゃ、事務所的な気分しかわかりません」

「わかりました」と、わたしはすっかりほっとしていった。「じゃ、ウォルワスヘおたずねします。きっとです」

「ピップさん」と、彼はいった、「どうぞいらしてください。私的な、個人的た資格でね」

 これはジャガーズさんの捉え方と同じ。

 仕事は仕事、仕事の自分と、私の自分をはっきりと分けている人間の二重性、複雑さが面白く書かれている。(もちろん、現実の人間はそんなにはっきりと分けられるものではない。本質的なことを誇張して書いている。ディケンズはそういう書き方をする。)


ジャガーズさん 〜ディケンズが創造した興味深い人物〜


 以下『大いなる遺産』から引用
    (チャールズ・ディケンズ、山西英一訳、新潮文庫)〜

 

「ぼくの恩人のことを、きよう教えていただけるんでしょうか?」

「いいや、そりゃだめだ。なにかほかのことを聞きたまえ」

「その秘密は、じきぼくに打ち明けてくださるでしょうか?」

「そいつはちよっとさしひかえてくれ」と、ジャガーズさんはいった。「それより、もっとほかのことを聞きたまえ」

 わたしは、あたりを見まわした。しかし、こうなると単刀直入に聞かないいわけにはいかなくなった。「何か――あの――いただけるんでしようか?」すると、ジャガーズさんは、「そうくると思ってたよ!」と、いかにも勝ち誇ったようにいった。そして、ウェミックに例の紙片をもってくるようにいった。ウェミックは、でてきて、それを手わたしして、引っこんだ。

 

「……わしは、前にも君にいったように、ほんの代理人にすぎないんだからな。わしは、命令されたとおりにやってるまでのことで、そのために謝礼を受けている。こんな命令なんか愚劣なことだと思ってるのだが、しかし、わしはその良し悪しについて意見をのべるように金をもらっているんじゃないのでね……

 わたしが、自分にこんなに寛大にしてくださる私の恩恵者に感謝の意を表しかけると、ジャガーズさんはそれをおしとめた。「わしはな、ピップ」と彼は冷然といった。「きみの言葉をひとに伝えるように金をもらっているんじゃないんだよ」それから、話をまとめあげたように、長い上着の裾をたくしあげ、まるで自分の靴が自分にたいして、陰謀でも計っているんじゃないかと怪しんでいるみたいに、眉を八の字によせて、靴を見つめながら、つっ立っていた。

 

「さあ、そうなると」と、ジャガーズさんは、このときはじめてその深く窪んだ黒い眼をわたしにぴったりむけていった。「わしたちは、はじめてきみの村で会った晩のことを思いださなくっちゃならん。あのとき、わしはきみになんといったっけかな?」

「あなたはあのとき、そのひとが現れるのは、何年後のことかもしれん、ておっしゃいました」

「そのとおりだ」と、ジャガーズさんはいった。「それがわしの返事だよ」

 

「そのひとがいよいよ姿をあらわしたら」と、ジャガーズさんは体をまっすぐに伸ばしながらいった。「君とそのひとは、ふたりできみの問題を決めたらいいんだ。そのひとが姿をあらわしたら、この問題に関するわしの役目はすんで、力もなくなるのだ。そのひとが姿をあらわしたら、わしはもうそのことについてはなにひとつ知らなくてもいいことになるのだ。わしのいうことはそれだけだよ」

 ずっと以前、この本を読んだとき(それ以来今日まで読み返していないけれども)、ジャガーズさんという人物の描き方をとても興味深いと感じた。
 ディケンズのどの作品に出てきたのだったか、『荒涼館』だったか『デイビッド・コパーフィールド』だったか、といろいろ探してみた結果、『大いなる遺産』にあった。

 仕事は仕事、金をもらってやっているのだからと割り切って、そのことが人間としての自分の意に染まないことであっても、冷厳な法律家として、判断し行動する。そういう状況をコミックに、面白く書いているのだが、人間的なものの本質が捉えられているから、単なるコミックにはならない。
 ジャガーズさんも、そこの職員ウェミックも、同じように割り切って、公と私を分離している。公では感情を殺すようにしているが、私では暖かい心に生きる。そこにおかしさと悲哀のようなものも感じさせる。
 


彼女を〈見る〉などということが起こりうるとは信じられない 090821

 

今朝は控える気持で、前の駐車場。ぎりぎりの時刻が近づいても現れる気配がない。やっぱり駄目かもしれない…そんな気になっていたとき、何でもないように通りかかった車。「おや、似ている」と一瞬思い、見るとまさに彼女。彼女を彼は〈見た〉。

 
 その一瞬感じたものを言葉で言うと、「彼女を〈見る〉などということが起こりうるとは信じられない」という感じだった。彼女がそこを通り、彼女を彼が〈見る〉などということは信じられない…

 

勿論それは何でもないごく当たり前のことだと頭ではわかっているのだが、それはあまりにも胸ときめくようなこと、ありえないような豪華なことだという感じがあるのだった。

 おそらくこうだったかもしれない。そのとき彼は彼女の存在に触れるような可能性をかいま見ていて(なぜなら彼女もその気になっているとしたら、その可能性はひょっとしたら…)、それが信じられない、ありえないことなので、悩ましいようなときめき、めまいのようなものを感じたのだ。

 

 彼の思いはしばしば夢想にすぎないもの、現実には実現することも近づくこともありえないもの、現実とはまったく別個の世界に属するものであるはずなのだが、しかし、それは彼の心の中ではいつも現実の彼女との接触、究極的にはおそらく性的な接触へと繋がっているのである。

 

 彼女を見たとき、彼女は一瞬「ああ」というように顔をうつむける動作を見せた。それは一つのニュアンスであってそれほどはっきりしたものではない。うつむけるというよりも、「ああ」とため息をもらすときのような感じだった。顔は前を向いたままだったが、瞬間的に微妙に頭が縦に動いた。そのとき彼が感じ取ったところでは、いつかのように彼と出会うことを求めてきて、「結局出会わなかった、ああ…」という思いに捉えられたと思わせるような動作だと思われたのだった。(勿論他にまったく別の意味があったのか、あるいは意味など得になかったのか。それはわからない。)

 その動作の印象を彼の心は直ちに昨夕のことと結びつけた。やっぱり昨夕、彼女は家の前で散水しながら彼を見たのだ。見なかったはずがない。そして彼女はそのことに強い衝撃を受け、路上で彼の車と出会うことを求めて今朝早めに出てきたのだ。(彼はしばしばこれまでにもそうだったように、彼女の通勤の道を逆上ってくるかもしれない。)そんな考えが浮かんだ。昨夕の出会いを彼は彼女から嫌われているようにも思い描きがちなのであるが、今朝彼女を見てからは、彼女は案外にも彼のことを思っていたのかもしれない、今朝彼と出会うことを求めて出てきて、出会えなかったことで、「ああ」という思いを感じるほどに。そんな彼女の像が彼の心に描き出された。彼女は一瞬にして通りすぎ、彼の方へは勿論顔を向けず、彼に気づいたようすはまったくなかった。むしろ角を曲がるには早すぎる感じで、奥の駐車場の方へ左折していった。彼女を目にしたのは短い一瞬である。彼からはガラスを通して不明瞭な彼女の横顔が見えただけである。それは客観的にはそんなに綺麗だとも心を引く形をしているともいえない気がした。けれども何といったらいいのだろうか。彼は心にぐっと来るようなものを感じた。それを説明することも、その感じを思い出すことも難しい。

  一つは彼女を〈見る〉ことへの戦慄のようなもの。(〈見る〉ことには彼女を享受することのような感じがある。)もう一つは彼が見るその彼女が彼への思いを感じていると感じることによる戦慄のようなもの。さらにもう一つは彼女の印象に、なにかしら水っぽいもの、感受性ににじむように溶け込むものを彼は感じるのである。

 もっともみんな推量、曖昧さの領域の話でしかない。こうしたことにはたしかなものは何もないのだ。彼女が朝あの時間にそこを通ったことは確かであるが、それが何を意味するのか、彼と関係があるのか、そもそも昨日彼女は彼に気づいたのか、といったことになると確かなものは何もない。

 

 しばしば自分の姿のみっともないこと、自分という人間の劣っていることなどを感じるときがあり、いったい自分は何を非現実的な恥ずかしいことを思っているのか、彼女が彼のことを思うことなどありえるはずのないことだ、という実感に強くとらわれることがある。そんな強い認識に達した後でもまた、不思議にも彼女は彼への思いを感じているのではないかという可能性を追求しはじめ、それが真実ありうると思っているかのような気持になっているのである。これこそとても不思議なことである!(現実に目覚めたときにはとてもありえないはずのこと、信じられないことであるのに。)

 


散水する彼女の前を通り抜ける。しばらくして道路に人の姿。 090820

 夕方。彼女は早めに現れた。今日も昨日と似た感じ。心を引かれても一瞬のこと。車に近づく最後の方で彼女の髪と顔の印象に何かしら茫漠とした感じ、表現は難しいが、漠とした悲しみといったもののイメージが感じられた。彼女が悲しみを感じているというのではなくて、顔、髪が醸しだす印象に何かしらキュッと憂愁がしぼり出されたような(たとえていえばレモン汁をキュッとしぼってそれがその周りに広がったような)、そんな印象があって、心が引かれていくのを感じた。
 後をつけた。間に車が2台入って、ちょうどいい具合だったが、今日は彼女の車の動きに、後方の彼に気づいていると思わせるようなものはまったくなかった。彼女はいつも比較的スピードを出す。彼女の前に車がつかえていたため、彼女はその車の後を追う感じで進んでいた。彼女の後に二台入り、見ようと思えば彼の車を見ることができただろう。気づいていて、嫌って逃げていると思わせるものもなかった。細い道に入ったとき、彼は遠慮して距離を置いた。彼女はたちまちスピードをあげて距離がみるみる開いた。
 家に近づいたとき、昨日と同様明かるすぎるので、後を追って家の前を通ることを避けた。離れた場所から双眼鏡で見ると、今日は彼女の車が滞ることなくすんなりとそのまま家に着き、庭に駐車するとすぐに彼女が現れ、玄関に消えた。
 入ってしまった… おそらく彼女はもう現れないだろう… と軽く考えて、彼は心を決めて家の方へ進んでいった。ひょっとしたら彼女が庭に出てくる可能性もあると思い、それを恐れまた期待する気持もあった。今日は少し思いきったことをしたい気にもなっていたのだ。藪陰が続き、それから彼女の家が見える開けた場所に出たとき、彼は注意して前方の彼女の家の庭を見た。そこにまさに彼女の姿が目に入った。彼女は家から出てきて、散水用のホースを手にとってちょうど水をやろうとしはじめたところのようだった。彼は一瞬引き返そうかと思った。けれども車はすでに彼女から見える場所に出ていた。そんなところで引き返せば、もし見られた場合見苦しくみっともないことになる。いや、彼が恐れたのは、彼女からこそこそと逃げ回っているというイメージを持たれることだったのではないか。当惑しながらも、とっさに心を決めて進んでいった。最初彼女は散水する植物畑の方に向いていた。近づいていく彼からすると、彼女は横向きだった。車に気づいたら彼女はこちらを向くかもしれない、近所の知った人かもしれないと予期して(まさか彼だとは夢にも思わないだろうから)、こちらを見るかもしれない、そしてとてもまずいことになるかもしれない… そう感じながらも彼は近づくほかのことはできなかった。彼の車が近づくにつれ、彼女は散水しながら顔をややこちらに向け加減にし(このときにはこちらを見る向け方ではなかった)、すぐ近くまで来たとき、もう少し明確に顔をこちらに向けた。その感じは、近所の知った人ならそれなりに笑いを浮かべて挨拶らしいものを見せる必要もあるだろうか、というような向け方だと感じられた。まずい、彼女に気づかれる、と感じながら、彼はそうするほかない身振りを見せた。つまりそれとわからないかもしれない程度に軽く曖昧に頭を下げる様子を見せ、それからから彼女のまさにすぐ側にきた瞬間に、左手を軽く口にあてる動作をした。車のガラスを通していたから彼女にわかったかどうか、第一彼女が彼を見たかどうか、たしかなことは言えない。その瞬間彼は気づかれたとかなりの強さで感じた。
 後で思うと残念だが、最初から最後まで彼は彼女をまともに見ることができなかった。ただ、彼女の姿を漠然と目にしただけだった。最後の瞬間には彼女を見ていなかった。したがって、彼女がどんな顔をしていたか、笑いを浮かべていたかどうか、彼を目にして彼に気づいたような何らかの反応があったかなかったか、そんなことはまったくわからなかった。ただ、あのときの状況、彼女の顔の向け方、まだあるていどの明るさがあったことを考えると、彼女は彼の車に気づいたのではないか、と思われた。過ぎてから衝撃があったが、それはそれほど激しいショックというのでもなかった。
家に帰るためにはもう一度あの前を通らなければならない。とはいえすぐにもう一度引き返して彼女の前を通ることは厚かましすぎてできなかった。

彼を目にした後も彼女が庭に残るかどうか、すぐに急いで家に入ってしまったかどうか、それをとても見たかった。ちょっと時間を置いてからと思ったが、家にも早く帰らないといけない。途中まで引き返して、家の窓を見たが、そんなところに彼女が見えるわけがない。もう一度思いきって彼女の前を通るという冒険を冒したい気持もあったが、それは彼女に嫌われている場合には過激すぎる。

考えたすえに、再び彼女の目の前を通ることは断念して(そうしたい誘惑はあったが)、細い田舎道を迂回して坂の下に出て、坂の下方の離れた場所から彼女が庭にまだいるかどうかを見ることにした。
 再び下方(対岸)から双眼鏡で家の庭を見たとき(そのときにはすでに、彼女が散水を終えて家に入ってしまったかもしれないと思われる程度には時間が経過していた)、家の前の道を人の姿が動くのが見えた。彼女かもしれない…とても遠いのでよくわからないが、姿形の印象が彼女ではないように思われた。感じとしては、まだ若い印象で、背が高くすらっとしていて、あるいは男だったかもしれない。その姿は最初彼女の家から少しだけ離れた場所にあって、彼女の家の方へ歩いていき、その辺りで消えた。彼女の家の人ではなかった。近所の人だろうか?  その可能性はあるが、ひょっとしたら彼女だったかもしれない、とも思うのである。その辺りで近所の若い人を見かけることはこれまでほとんどなかった。あれがもし彼女だったとしたらどうだろうか? 彼女を求めてこんなところへ来る(こんな惨めなことをする)ほど彼女のことを思っている彼を目にして、彼女は心に衝撃を感じたかもしれない。彼がもう一度帰りに通ることを予期し、思いきって彼にもう一度出会いたいと思って(それは彼女としてはとても気違いじみたことである!)、道路に出ていたのではないだろうか。この考えは彼をとても興奮させる。そのことを強く期待する気持はあるが、そういうことが現実にあるとは思いにくいところもある。
 第一あれが彼女だったかどうか。遠くから見た目には彼女らしくない印象があったのもたしかである。彼女だったかもしれないと思う根拠は、客観的にあの場所をこの時期、この時刻に彼女以外の若い人が通ることはあまりないのではないか、と考えるからである。彼女なら、まさにその直前にその近くにいたのだから、そこにいても納得できることである。しかし、結局彼女でなかったかもしれない。近所の農家の人だったのかもしれない。
 明朝彼女が早めに出てくるかどうか、それが楽しみ。月〜水と三日間連続で遅かった。

 Yさんが朝植松氏とコンピューターで何かを調べていた。彼がそこへ入っていったとき、彼は彼女の顔を見た。Yさんは珍しく親しい調子で彼の名を呼んだ。彼の担当のことで植松氏と話していて、彼がそこへ通りかかったので、彼にきこうと思ったのだ。それは別に意味のあることではないが、ただ彼女の親しい感じは嬉しいものだった。その後夕方まで、しかし彼女の印象にそれらしいものはなにもなかったように思われる。むしろ何とも意識されているわけではない、と感じることがずっと続いた。


どうしたの、えらいあわててるじゃない

 朝方彼女を見て、あれほど心をひかれたのに、その後彼はずっと彼女の方をほとんど見ないまま過ごしていた。

 午後彼は左向かいの席のA君の机の上にあったノートパソコンを自分のところへもってこようとしていた。
 ちょうどそのとき、前方のSさんのところに来ている彼女の姿が目に入った。
 彼はそれを見るとひどく動揺を感じはじめた。
 彼女の方を見ようとしたというのではない。むしろほとんど見なかった。ただ、彼女の後ろ姿が向こうに見えていて、彼女も彼の方を意識しているというような幻想があった。
 パソコンの電源コードを引くのに隣の席の喜多氏の机のところを通さないといけない。彼は奇妙にそわそわして、落ち着かず、失敗を繰り返した。
「あ、どうも」「いかん…どうも…」と連発した。すると喜多氏が
「どうしたの?  えらい、慌てているやないの」と言った。
 彼はまずいと感じた。彼女を意識して動転していることを見ぬかれているのかと思った。以前から喜多氏は彼の心の中にあるものに気づいているという気がしていたから。
 彼はなるべくさり気ない様子を保つように努めた。しかし、どうにも過剰な意識による動揺はしずまらない。パソコンを打ち出しても、姿勢は前屈みで固く緊張していて、無闇とカサカサと早く打った。

 彼女の姿が目の前の方から消えると(彼女がいたのはそんなに近くではなかったのに)、彼はたちまち落ち着きを取り戻した。

 そのあとしばらくしてまた彼女が前方に表れたとき、またしても彼は固くなり、動転し、落ち着きをなくしてしまった。無闇とキーを打ち、しばしば何を打っているかわからなくなり、「記号、記号」と打っては消している自分に気づいた。ごまかすのに苦労した。しかし、全体としては喜多氏の目を何とか誤魔化せたように感じていた。

  彼は、栄さんと家さんのところへ行く機会があったとき、彼女たちにちょっと声をかけ、家さんが笑談めいた調子で言葉を返した。すると、彼も意外に明るい陽気な調子で答えた。そんな陽気さが自分の中から飛び出してこようとは予想していなかった。…
 それが喜多氏の疑いを晴らしてくれただろうと感じた。

 彼は調子に乗ってきた。ようやく、彼女の近くへゴム印を押しにいった。ところが、あいにくちょうど彼女がいなかった。残念…一度しかないとっておきのチャンスに…

村上春樹の「チャンドラー方式」

  村上春樹『チャンドラー方式』からの引用
(新潮文庫『村上朝日堂』所収。1983年の作で、当時、作者は34歳か)

 小説を書くときの方法。 
 
 ずっと前にレイモンド・チャンドラーが「小説を書くコツ」について語っていた、と村上春樹は書いている。細かい点まで正確には覚えていないが、ともあれ、僕(=村上春樹)はそれを「チャンドラー方式」と呼んでいる。
 
 以下村上春樹の文章の引用。

まずデスクをきちんと定めなさい、とチャンドラーは言う。自分が文章を書くのに適したデスクをひとつ定めるのだ。そしてそこに原稿用紙やら(アメリカには原稿用紙はないけれど、まあそれに類するもの)、万年筆やら資料やらを揃えておく。きちんと整頓しておく必要はないけれど、いつでも仕事ができるという態勢にはキープしておかなくてはならない。
 そして毎日ある時間を――たとえば二時間なら二時間を――そのデスクの前に座って過ごすわけである。それでその二時間にすらすらと文章が書けたなら、何の問題もない。
 そううまくはいかないから、まったく何も書けない日だってある。書きたいのにどうしてもうまく書けなくて嫌になって放り出すということもあるし、そもそも文章なんて全然書きたくないということもある。あるいは今日は何も書かない方がいいな、と直感が教える日もある(ごく稀にではあるけれど、ある)。そういう時にはどうすればいいか? 
 たとえ一行も書けないにしても、とにかくそのデスクの前に座りなさい、とチャンドラーは言う。とにかくそのデスクの前で、二時間じっとしていなさい、と。
 その間ペンを持ってなんとか文章を書こうと努力したりする必要はない。何もせずにただぼおっとしていればいいのである。そのかわり他のことをしてはいない。本を読んだり、雑誌をめくったり、音楽を聴いたり、絵を描いたり、猫と遊んだり、誰かと話をしたりしてはいけない。書きたくなったら書けるという体勢でひたすらじっとしていなくてはならない。たとえ何も書いていないにせよ、書くのと同じ集中的な態度を維持しろということである。
 こうしていれば、たとえその時は一行も書けないにせよ、必ずいつかまた文章が書けるサイクルがまわってくる、あせって余計なことをしても何も得るものはない、というのがチャンドラーのメソッドである。  …(中略)…
 僕はもともとぼおっとしているのが好きなので、小説を書くときはだいたいこのチャンドラー方式を取っている。とにかく毎日机の前に座る。書けても書けなくても、その前で二時間ぼおっとしている。
》 (村上春樹『チャンドラー方式』より)

 なるほど、これは使えるかもと思ったので、書き留めておいた。(ただ、その後数年も経つが、まったく実践できていない。できていないが、今なお自分にとっても重要だという気がしている。)

 きょう、『ウエブ進化論』の著者・梅田望夫のブログを見ていて、たまたま「チャンドラーと村上春樹、書くこと」という文が載っていた。村上春樹の文を引用したもので、次に引用させていただく。

◆チャンドラーと村上春樹、書くこと  
(梅田望夫ブログ My Life Between Silicon Valley and Japan 2007-04-08記事)
《「ロング・グッドバイ」(早川書房)に、村上春樹が長大な「訳者あとがき」を書いている。その中でチャンドラーの手紙を引用し、書くことについてこう述べている。
うまく文章を書くことは、彼(=チャンドラー)にとっての重要なモラルだった。彼はある手紙の中にこのように書き記している。
「私は思うのですが、生命を有している文章は、だいたいはみぞおちで書かれています。文章を書くことは疲労をもたらし、体力を消耗させるかもしれないという意味あいにおいて激しい労働ですが、意識の尽力という意味あいでは、とても労働とは言えません。作家を職業とするものにとって重要なのは、少なくとも一日に四時間くらいは、書くことのほか何もしないという時間を設定することです。べつに書かなくてもいいのです。もし書く気が起きなかったら、むりに書こうとする必要はありません。窓から外をぼんやり眺めても、逆立ちをしても、床をごろごろのたうちまわってもかまいません。ただ何かを読むとか、手紙を書くとか、雑誌を開くとか、小切手にサインするといったような意図的なことをしてはなりません。書くか、まったく何もしないかのどちらかです。(略)」
 彼の言わんとすることは僕にもよく理解できる。職業的作家は日々常に、書くという行為と正面から向き合っていなくてはならない。たとえ実際には一字も書かなかったとしても、書くという行為にしっかりとみぞおちで結びついている必要があるのだ。それは職業人としての徳義に深くかかわる問題なのだ。おそらく。


(ちなみに『ロング・グッドバイ』は、村上春樹が訳した本の題名。著者はレイモンド・チャンドラー)






喜多氏と佐久君  040323

  3人で出張。喜多氏と佐久君と僕の3人。

 喜多氏はどこか性格の上に欠陥をもっている感じの印象がある。いつも疲れたような、疲弊したような印象があり、顔つきが陰気である。しゃべるのを聞いていると、まともでしっかりしたところがあり、知的な人だという印象があるが、どこか疲弊の感じが強く、その言動にときとして異常に冷やかなものが感じられる。歯に衣を着せないという印象、偉そうないいかたをするが、それもどこか落ち着きなく、心理的なものに欠陥がある感じが感じられるのだ。仕事をいつも「しんどい」というふうにいう癖がある。

 佐久君は若い職員で、おとなしい。繊細で内気。積極的に進んでいくタイプではない。おっとりして静か。立命館大学を卒業した秀才で、背は中背、細っそりしている。女友達もなく、寂しそうな感じ。そのことでは自分に不満(或いは劣等意識に似たもの)を感じているのだろう。とぼけたようなおもしろさがあり、人々からは愛されていると思う。

 帰りの船の中で、喜多氏と佐久君が話しているのを、僕は横で聞いていた。

 船の音でよく聞き取れない。しかし、喜多氏の口からしばしばさんの名前がもれてくる。
 どうやら事務所の女性の品定めをしているようだった。

 さんはどう見ても上の下ではない。中の上だ」と喜多氏。「事務所には他に魅力ある若い女性もないから、仕方なくさんでも見ようかというところ」

 佐久君はそれに対して彼女をちょっと弁護していた。積極的にではないにしても、彼女に好意的な気持をもっている感じがする。佐久君は控え目な性格なので、そういうことを積極的にいうのを避けたのだろう。
「きっといい奥さんであると思う」と佐久君がいうのが聞こえた。
 喜多氏は、さんのスタイルや顔や何やかやについて、「あまり評価できない」ことを言ったようだったが、僕にはよく聞き取れなかった。

 僕は好奇心をもって耳をそばだてていた。話に加わって、彼女について彼らがどんな評価をしているのかをもっと知りたいと思ったが、口を出すことを控えた。さんに関心があるところを隠しておく必要を感じたから。

 喜多氏はまた、〈魅力を感じることは別〉ともいった。よく聞き取れなかったが、きれいな人でもあまり心をひかれない人もいる。よく聞き取れなかったが、さんは「中の上」であるけれども、「魅力」は感じるということをいっていたのかどうかよくわからない。それをもっとはっきりと確かめたい思いを感じた。
  
(作品の中では、この場面はここで切って、後は省略すべきだろうか?)

 僕はさんのことをずっと思いながら、「彼女に思われているなどということはありえない」とはっきり感じた。
 自分という人間の魅力の乏しさは明らかだし、そういうものが人に与える印象は、まちがいようのないものである。
  さんのような女性に気がある様子を見せるなんて、何という恥ずかしい、無恥なことだろうか!  
 土曜日もさんが帰っていくとき、僕は意味ありげに彼女の方に顔を向けたりしていたではないか!  彼女はすまなそうな、気を使ったような、憂鬱で曖昧な声で、「お先に失礼します」といって、立ち去った。そこに僕への特別の意識があったかどうか、と僕は繰り返し思い返してみるのだが、彼女はただ気を使っていただけなのだ。僕に心を寄せているなどとはとんでもない。

  そんなことを考え、馬鹿な(恥ずかしい)真似をしてはいけない、心しよう、と自戒した。

 しかし彼女のことを思うと、濃艷な幸福感が僕を包み込むのだ。この〈濃艷〉という言葉が日本語にあることは、一つの驚きである。この言葉は、きっとこうした感情、又はその対象を表現するためのものにちがいない。


自分の書いた断片を集積する場としてブログを使う

非公開ブログという形で、自分がこれはいいと思った他人の文章をブログに掲上(集積)したいと思って始めたのだったが…

読んだ本とか、人の文章とか、そういうものをそのまま引用したら、著作権の問題が生じる。
 
他人の文章ではなく、自分が書き散らした文章を、「自分が活用するために」掲上するのなら、もちろん、何ら問題にはならない

自分が自分に「著作権侵害」などと、注文をつけることはまずありえないだろうから。

自分の書き散らした文章を集積する場として使うのなら、「非公開でなくても」別にかまわないわけだ。

もとより「アクセス数のことを気遣うこともない。

せっかくこのステキに美しいブログの場があるのだから、その場を借りない法はない。

そんなふうに考えてみた。

なるほど、これはいい案も知れない。…

「別にブログでなくてもいいのでは? … 
自分のパソコン内に保存しておけば?」

よくある意見。もっともである。

けれども、自分の場所以外の場所に置いておくということに、何かしら特別の意味があるような気がするのである。

これは何なんだろう?…


妻が彼に愛想をつかして家を出ていく

(創作の材料、或いは原料) 

 そのころZ氏は、まだ四十才になっていませんでしたが、ここでは語らないある事情のため、妻との関係が悪化して、妻が彼に愛想をつかして家を出ていくという形で一時的に妻や子どもと別居していました。

 彼自身は、妻や子供を愛していましたし、別居するほどの理由を何も見出さなかったのですが、妻が彼に大きな不満を感じていたということは、一つの紛れもない〈事実〉として認めなければなりませんでした。
 別居生活は、惨めさの感覚とともに、正直のところZ氏に気楽さの感覚を与えました。炊事、洗濯のことは、彼には大して苦にはなりませんでした。
  Z氏は、毎晩真夜中になると、ビールを飲むようになりました。
 アルコールには、もともと強くない彼のことで、少しのビールが彼を酔いの世界へ誘い込むのでした。
 Z氏は酔っぱらっては真夜中にひとり妻のことを思い、自分の愚かさのことを笑い、ときとしてヒヒヒ・・・と奇妙な声を上げたり、ポロポロと涙を流したりしていましたが、実はそのことに彼にはこのうえない慰めと喜びを感じていたのです。彼は、自分がおちいったどんな境遇にも興味深いものを見出し、妻に捨てられるような経験をさえ楽しんでしまう奇妙な能力をもっていました。彼は極めてお人よしだったものですから、妻への怒りや恨みといったものは、不思議と感じないのでした。というのも、別居生活は一時的なもので、妻は帰ってくるにちがいないという思いがあったからです。ただ、万一妻が他に男をつくったりして再婚するなどといいだしたら・・・と想像すると、彼は恐ろしい苦しみを感じて、気狂いのようになりました。もしそういわれたら、彼は妻のいうとおりに離婚届けに印を押すにちがいない。しかし・・・と、そんなことを思うのでした。そう思いだすと、今もうすでに妻は誰かいい男と仲良くなりつつあるのではないかという気がしてきて、彼はもう恐ろしい苦悶にとらえられ、今からでもすぐに妻のところへ行って、家に戻ってもとのように暮らすよう頼みに行こうと思うのでした。妻が他の男と再婚する夢を見ました。彼はさりげなく寛大に妻をその男に譲りました。ところがあとで妻に出会い、彼は恐ろしい後悔にとらえられたのです・・・彼女はもう彼の妻ではない・・・もう人のものになってしまった・・・もう取り返しがつかない・・・そんな恐ろしい憂悶のうちに彼は夢から覚めたのでした・・・
 
  再婚などということには、彼はまるで興味を感じませんでした。結婚生活は彼に多大の不自由と犠牲を強いるものですから、他の女性といっしょに暮らすなどとは、考えるだけでも、気のすすまないことのような気がしました。
 そんなある夜のことでした。(彼はたいてい二時か三時ころまで起きていました。)Z氏は一仕事終えて、さてこよなく甘いビールを飲み始めました。ビールがちょっとまわってきたころ、Z氏はふっと後ろに人の気配を感じたのです。見ると、一人の見知らぬ男がそこに立っているではありませんか。男は何の前ぶれももなく、いつのまにかこっそりと影のように忍びこんでいたのでした。いや、本当に影、正真正銘の単なる影だったのかもしれません。ただ、その時のZ氏には間違いなくそれが実在の存在であるとしか感じられませんでした。男は、黒っぽい服装をしており、冴えない地味な感じの顔立ちで、ひどく控え目に微笑みました。しかし、Z氏は不吉な予感に襲われたのです。Z氏には、どうしてだかこの男を以前からよく知っているような気がしていました。
 Z氏は男の顔を見つめました。男はただ考えこんだような控え目な無表情の顔で、そこにじっと立っているのです。
 

JUGEMブログ 魅力的なブログと思う…

 実は自分専用の「情報庫」ということで、新しくブログを探していた

一つの試みとして、JUGEMブログを開設してみた。

JUGEMブログは、いろんな点で、魅力的、興味を引かれるところがある。

文字飾り(文字色や一定の文字の強調)の点で非常にいい。

ただ、私の求めていた「非公開」で、かつ「自分だけが閲覧でき閲覧しやすい」という点では、あまり適当ではないという結論に。

ただ、文字強調など、デザインが非常にいいので、そのまま捨てて去るには、去りがたい感もある。






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