「赤い靴をはいた女の子」の話―昔のテレビの番組から―
3歳か4歳のころだったと思う。
大阪の従姉たちが、淡路島洲本の我が家へ来ることがあって、いろいろ歌を教えてくれた。
童謡「青い目の人形」とか、「鐘のなる丘」とか、「赤い靴」とか。
幼いながらにそうした歌に魅せられたものだった。
赤い靴
作詞 野口雨情
作曲 本居長世
赤い靴はいてた
女の子
異人さんに
つれられて
行っちゃった
横浜の埠場(はとば)から
船に乗って
異人さんに
つれられて
行っちゃった
今では青い目に
なっちゃって
異人さんの
お国に
いるんだろう
青い目を見るたび
考える
異人さんに
逢うたび
考える
その後、この歌はラジオなどで何度も聞いたことがある。
「異人さんにつれられて行っちゃった」
「今では青い目になっちゃって」
「赤い靴見るたび 考える 異人さんを見るたび 考える」
「考える」というところが印象的だった。
少女歌手の声も清楚で懐かしく感じられとても好きな歌だった。
書庫の隅から、忘れられていた古いメモが出てきて、見ていたら、もう何十年も前に見たテレビ番組についてのメモが混じっていた。
赤い靴をはいた女の子は、野口雨情が下宿していた家の近く(?)に住んでいた独身の母親から生まれた、そうだ。
やがて母親は子供を連れて北海道に渡る。
Word by Noguchi Ujo
Music by Motoori Nagayo
Translation by Tsuruta Kiyoko
1. O' little girl nice on you pretty "Red shoes"
She has gone far away with a foreigner (American)2. From the port of Yokohama, over the waves
She has gone with him to his home3. I wonder, if she is happy and have nice days
I wonder, if her eyes are blue like foreigner4. I remember her when I see pretty "Red shoes"
I wonder how she is when I meet a forei
つまり、相手が気の弱い男であるならば、ぼくの視線に傷つけられたように感じるだろうし、相手が気の強い人物ならば、面と向かって見られることを敵意ある挑戦ととるかもしれない。
相手が健康で正常な人ならば、ぼくを無視するか憐れむべきとるにたりない存在だと感じるだろう。
若い女ならば、ぼくのような取るに足りない貧弱な男に見られることを心外に思うだろうし、それが魅カ的な娘であったとしたら、なおさら彼女を見て目で快をむさぼるというぼくのあさましく卑しい下心が公衆の面前で明るみにさらされることになり、その上彼女はぼくを鼻で笑うだろう……
これは理屈ではない。ただ、理由もなくぼくはそんな気持ちによくなったものだ。用もなくひとりで人中に出かけてきたこと、そしてあわれな泥棒犬のようにうしろめたい気持ちをいだきながら、ぼくのために存在するのではない若い女たちの顔や手足やうなじや胸のところを盗み見ているのだということ……そうしたことがみんな明るみに出て、笑われ、蔑まれ、〈非難〉さえされるといった気がするのだ。他のすべての正常な人々にくらべて、自分は異常に孤独なできそこないである。(そんなふうにぼくは
常に感じていた。)孤独であるということ、それは貧乏人、ルンペン、不具者、犯罪者であることよりも悪いことだ。なぜなら彼らのほうが仲間と親しくしたり、入々の中で自由に気軽に冗談をいいあったり、いたずらをしあったりすることを心得ており、普通のことを普通におこなって生活する術を知っている。どんなに不具な入間でもオレよりはずっとまともであり、ずっと人間味がある。オレときた日には、いつも陰気なアナグマみたいに人を避けてばかりいて、誰とも親しい言葉をかわすことがなく、人間としてごく普通の交わりをもつことさえないのだから。……
くる日もくる日も、こんな思いを繰り返しながら路上を歩きまわる。するとふしぎなことこに、やがてぼくにはこうした自分のありかたがすべてひどく意味のある、特別のことのように思えてくるのだった。こうしたことは何かしら独自の高められた体験であって、そこには人知れない深い価値が潜んでいる。普通一般には知られることもなく理解されることもない、捨てがたい独特の要素がここにはある、そんな気がしてくるのだ。それが何であるのかは、ぼく自身にもはっきりしていなかった。
そんなわけで、くる日もくる日も虫けらのように街々をほっつきまわった。泥棒犬があちらこちらで食物をあさり、匂いをかぎ、みじめったらしく徒労に走りまわるように、ぼくはいたるところで女たちの姿を盗み見ては、甘さをむさぼり、そしてそのわずかな甘さをもっと強めるために自分を紙屑のようにみなしてあざ笑うのだった。このみずからあざ笑う気持には、それでまたふしぎな甘さと慰めがあった。できるだけこっぴどい罵りの言葉を探しだしては、それを自分に当てはめてわれとわが身をさいなむのである。〈言葉の短刀〉でみずからの胸を思いきりぐさりとえぐり、それから何度も繰り返して切りさいなむである……
もっとも、実のところはそれも一つのゲームにすぎなかった。そのことは自分でも充分に承知していた。要するに、そんなふうにして、ぼくは自分で自分の心を慰め愉しませてやっていたのだ。
とはいっても、実際のところそんな慰めに甘んじてばかりはいられなかった。自身の本質的な無力を感じることにともなう何ともいいがたい不満の感じが、くる日もくる日もぼくをさいなんでいた。
『N※※やC※※など、世界の成功者たちは、オレの年齢ではすでに華々しい成果をあげていた。オレはいまだに何も始めようとはしない』
そんなふう、ぼくはよく自分にいったものだ。
『おい、意気地なしの虫けらめ』とぼくはよく自分に向けて言いった。『何者かであろうと思うなら、おまえはいますぐ計画をたてて偉大な一歩を踏みだすべきではないか。そうしないかぎり永久に踏みだすことはないだろう。それとも生涯虫けらでありたいと願うのか……』
ぼくは自分の中に力を見出そうとした。が、そこには何も見当たりそうでなかった。ぼくは憂欝になり、イライラし、いっそうひどい無力状態におちいった。そうなるとますますひんぱんにN※※やC※※のことが引
き合いにだされ、あのような存在でないかぎり、「自分の生涯は永久に無だ」という無茶苦茶な観念をふりかざして、自分を無理矢理駆りたてようとするのだった。
もっともこれもまた一種のゲームであり、単なる道化芝居にすぎな
い、そのことはちゃんと自分で承知していた。
そんなある日、突然、自分が虫けらである事実に反逆を企ててみる気になった。
というのはほかでもない。ある〈素敵な着想〉が天から降って湧いたのである。
こうしたことはたいてい突然に起こるのだ。天から降るというのではないにしても、どこからともなく奇跡のように忽然と湧いてくるのだ。
その素敵な着想とは、簡単にいえばこうである。
自分はいつも人の前に出ると、相手に比べて、自分のことを〈吹けば飛ぷような軽い存在〉だと感じる、逆らいがたい傾向がある。
〈何者かである〉ためには、ぜひとも自分の中に〈自信〉を養い育てなければならない。そこでひとつ実験をやってみるのだ。
その実験とは、つまり「内心は別として少なくとも外観だけは、あたかも自信のある人間であるかのように振舞う」というものだ。
つまりこうだ。ぼくには自分の存在を人に対して申しわけないもののように、すまないもののように感じる困った性避があり、それは自分でもどうしようもないものだ。人に対して常に遠慮がちにしりごみし、人の気を害するのではないかという恐怖心に支配されている。人がそばにいると落ち着かず、浮き足だった状態におちいり、すぐさま逃げ出したい気持にならずにいることは不可能といったありさまである。自分という人間が人とくらべて、軽くて滑稽で馬鹿げているという気がしてしまうのだ。相手にくらべて自分をずっと価値の低いもののように、実にとるに足りないもののように、いや、そればかりか…
朝方、彼女を見たあとで彼女によって心に呼びさまされた独特の甘美で複雑な喜びのことを思いながら、車庫に向かう道々、ふとこんな考えが浮かんできた。
モーツァルトやハイドンのピアノソナタ(短調)を聞くとき、独特の興奮、独特の喜びを感じる。その曲が彼の心に、ある複雑で甘美な喜び、感銘を引き起こすからだ。つまり「その曲には独特の魅力が備わっている」ということである。
それと同じように、「今朝方彼女を見たときに、やはり彼はある深い、いいようのない喜び」を感じたのだった。それは、「優しい、どことなく憂鬱な優しさを感じさせるもので、彼女の姿態、顔立ちが、そういうものを心に呼びさます効果をもっている」のだ。
彼女の魅力は、色香といっても、いわゆる色気といった感じのものではない。彼に感じられる彼女の魅力は、もっと複雑で、精神的な(というのは適当ではないが)何かである。その感じをあらわすことはできないし、それに近いニュアンスさえも伝えることは困難だ。
甘美な、憂鬱な、メランコリーのイメージ…
昼休み。彼は自分の年齢を忘れ、またしても愚かな妄想を抱きそうになる自分に水をかけた。
それはもちろんそうだ。当然のことながら、〈基本方針〉はこうである。
1 彼女への関心を「かたく隠しておく」こと。
2 彼女に対してはいっさい「何も期待しない」こと。
(これは絶対的な大原則。この二つの原則を厳守しながら、次のことが要求されるのだ。)
3 彼女を「見る機会をできるだけ利用する」こと。
4 「見る喜びを深く感じる」こと。
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「すっかりお顔を拝見できなくなりましたが… 」
ある意味非常に大胆。 その大胆さが普通ではないところに、劇的な要素がある。
彼女との間柄から考えるとそんなことは唐突で非常識すぎる。
そんな大胆な、いや、「厚かましい」ことをあえてやった、という驚きと困惑、戦慄…
弟の宏喜は全身あちこちに痛みを感じながら、日々をベッドで過ごしている。歩くことは出来るが、歩くと痛むのだという。宏喜の顔、相貌がいつもとはちがって、きれいに、ある意味、崇高に見えた。口の髭をそっていなかった。
気の滅入るところだ。もちろん、宏喜が可哀想である。
ぼく自身の精神にとっても、一つの危機だと感じられる。つまり魂がどうしようもなくメゲルのである。それに抗して前を向いていく心の姿勢を保たなければ、潰れてしまうと感じる。
昨日横浜へ行く途中の新幹線の中で読もうと、アンリ・バルビュスの『地獄』(岩波文庫)を持っていった。昨日から少しだけ読み始めていた。最初の方で、今の自分にはあまりおもしろくなさそうだ、読むのを止めようか、と何度も思いながら読んでいたところだが、今日新幹線の中でほぼ半分近くまで読んだ。
たしかに素晴らしい才能だ。けれども自分が求めるのは、プルーストのようなものであって、こういう作品ではない。恐ろしい容赦のない絶望がここには立ちこめていて、人は孤独だ、決して孤独から抜け出ることはない、人は死に向かって進むだけだ、すべてがそれに帰する、人間が経験するどんな喜びも最終的にそこへ向かっていく限りは無意味である、ということを、豊かで素晴らしい表現力で、これでもか、これでもかと繰り返す。何とも苦しい気持ちにならせる作品世界だ。救いがまったくない思いにならせるのである。びっしり書き込まれているせいもあるのか、いや、それよりも暗くたれ込めて、まったく救いのない文章なので、読んでいるととても苦しい。
バルビュスを半分ほどで中断して、横浜へ着いたころから、もう一冊持っていた本を出して読んだ。それは鷲田小弥太著『パソコンで考える技術』
これはずっと以前一度読んだことのある本で、これは非常に面白いし、軽く読める。帰りもずっと読み耽って、ついに一冊読み終えた。
朝、九時過ぎに家を出て、横浜の病院へ。
夜十一時半ころ家に帰ってきた。
心に重すぎる陰があって、どうしようもない。何とかそれを乗り切るしかない。たしかに人生は陰に満ちている。暗いことや死や破滅や泥沼が至るところにある。そういう災難、惨めさは、いつでも人の暮らしの中へ侵入してくる可能性がある。そういうことを感じるとき、人生の惨めさの感覚が生じて、気が滅入り、くじける思いになる。そういう至る所で惨めさに隣り合わせている暮らし中にあって、バルビュスのように、救いのない絶望、虚無の心ではなく、生きることの喜びへと手をさしのべる心の必要があると感じた。絶望、虚無に蝕まれる生き方は、悲惨のなかで悲惨のまま終わってしまう。悲惨は悲惨、人生は悲惨に満ちている。それは抗いようのない事実だろう。けれども、そういう中にあって、自分や周囲の悲惨を現に目にしながらも、生きていられる限りは、絶望の方向ではなく、希望の方向に目を向けていることが重要なのではないか。通常、みな人はそうしているのではないだろうか。
読むべき本が沢山あるからといって、全部読もうと思うな。
これはと思われる本に出逢ったら、その1冊をじっくり読んで、そこから得るものを得ることが肝心。
必ずしも本を全体として理解する必要はなく、
本の中に、「自分にとって利用できる箇所」を発見して、じっくりと読む。
問題は、「それに触れることによって自分の中に生じてくるもの」を刈りとることだ。
彼は一瞬強い幸福を感じたが、やがて以上のような反省を行い、彼女に思われているなどというありえない甘い幻想を繰り返し自分に対して打ち消した。彼は多忙のせいもあって彼女の近くへ一度も行かなかったし、行くのがひどく億劫な感じもしていた。行けば、われながら醜い気遣いをしなければならない。彼女から離れているほうがずっといいではないか。ただ、時々通りかかる彼女の感じをそっと目の片隅の方で感じとる。彼女の声を遠くから注意して聞いている。それだけいい…そんな気持だった。何も望んではならないし、勿論望むべくもない…愛されるなんて…そう思いながらも、この世に二つとはない彼女の姿がちらっと見えると、こりもせずにやはり同じ思いに支配されてしまうのだ。
彼はしかしずっと彼女から離れていた。どうとでもなれ。彼はずっと黙っていたが、たまに人と話すときには実に生き生きして、自然で、軽やかな、感じのいいもののいいかたになった。自然にあふれるように、愛想のよさがわいてくるのだ。教育事務所のT氏が来て、ある用件について彼にたずねたときもそうだった。また、近くにK女史が来ていたときにも、彼は彼女にちょっと聞きたいことがあったので、声をかけた。そのあとKさんが彼の近くのワープロ用紙をとりにきたとき、彼はちょっとくだけた調子で、「リボンのテープは高いのでしょう?」といってやった。Kさんは経理担当らしく、経費節約のことを話しはじめた。そうしたやりとりを通じて、彼は自分が自然と軽快で陽気になるのを感じていた。それ以外は一日中彼はほとんど無口で黙ってばかりいたのだが。そしてやはりどうしても彼は、《彼女に思われている》という非条理な確信(というよりは気分)に取りつかれていきがちであった。それはそれでいいだろう。ただ、図に乗らないことだ。あくまでも自分を自分の中にとどめておくことだ。自分一人で(彼女なしで)秘かに甘美な夢想を享受するということだ…たとえばモーツァルトやショパンのピアノ曲を聞いて…ああそれだけで満足できるものならば…
また、彼の前任者のK氏が彼がワープロを打っているところに来て何か話したそうな感じがした。彼も何かいいたくなったのでちょっと話し込んだ。ケースについていろいろ思い出せる限りのものをあげて彼に質問した。彼は実にいい感じで話すことが出来た。「ああしんどいわ。一日中ワープロに向かっているとしんどいな。字が下手だからワープロで打つしかないし…」
K氏は「よういうわ…」といった。K氏がこんなにいい人だとは、四月まで思ってもいなかった。彼は、K氏を地味で無口で、さえない人だとくらいにしか思っていなかった。
2月12日
ようやく会計検査も終わり、後は占用更新の作業を片づけて、その他もろもろ非常に多忙ではあるが、そう困難な問題もなく、任務を全うして次の担当に引き継ぐだけという思いでいたところ、またまた新しい調査ものが入って、それも日数に余裕がない。
左腕の深刻な痛みがいっこうによくならないところ、これからまだ3月終わりまで片づけなければならないことがいっぱいある。ようやくそれに向かって集中しようと思っていたところ。
痛みはそれ自体だけならそれほど深刻ではないのかもしれないが、それが生じる原因、それが進展していく先の事態を考えると、深刻にならざるをえない気がしている…
2月22日
課題(フィクション化するにはどういう設定がいいか?)
先々週木曜日だったか、横浜の病院から電話がかかってきた。病院の看護師(婦)さんからで、担当の医師が一度会って弟(昭彦)の病気の情況などを話しておきたいので、来ていただけませんか、ということだった。
ちょうどその翌週月曜日が提出期限となっている本社からの調査もの(国の調査)があって、今はとても手が離せない。金曜日までには何とか片づけられるだろうから、土曜日ならかろうじて行けるかもしれない。ただそれではきつい。そんなことを考えて、「できることなら火曜日にしてほしい」と答えると、看護師(婦)さんは、担当の医師に聞いてみますとのこと。
調査ものはほぼ金曜日には完了して本社に報告できる見込みがあった。もしできなくても、土、日出勤すれば、月曜日にはできるだろう。
医師に聞いた結果の返事の電話がまた来るかもしれないので気になっていたが、調査に関係して現地を見にいく必要があったので、漁港へ出かけた。
その翌日(金曜日)の朝、横浜のマルバツ病院の看護師(婦)から再び電話。先生に聞いた結果、「すぐにでも来て欲しいということです」
前日の話では「病気と治療の状況を話しておきたい」ということだった。
それだけでも重大なことかもしれないという気はしたが、当方は、今日、明日のことではないのだろうと思っていた。
今回の電話ではもっと早く来られないかということらしい。事態はそんなのんびりしたものではなく、思いのほか切迫しているという印象の話である。
当方は、それでは… と思案しながら、調査物の処理は、土、日出勤すれば何とかできるだろうと踏んだ。
「今日行きます」と答えた。
「何時ころにこられますか」 と看護師(婦)さん。「もし急な事態になったら連絡する携帯電話連絡先はないのですか」
「夕方5時半頃。携帯電話はありません」
もう少し早く着くだろうという目算はあった。
これはいよいよ危ないのか、と思うと弟(明彦)が可愛そうでもあり、この土、日に仕事をするどころではなくなるという思いが交錯した。報告ものを仕上げて送り届けないと本社の西野君が困るだろう。月曜日の期限に間に合わすには、この土、日どちらかに出勤しないとまずいだろう、という思いが繰り返しきた。
すぐに家に帰り、横浜へ出かける準備をする。
準備といってもただ服装だけだが、高校生の娘に「横浜へ行くからお母さんに伝えて」と何度か念を押した。それからわが末の弟の伸二の携帯電話に連絡した。伸二は今日は仕事を休んで町へ出てきている、これから病院へ行く予定だったという。
すぐに伸二はわが家に来た。少し話をする。
こちらはすぐ出かけるが、後からゆっくり横浜へ来るように言って別れる。伸二も動転している様子。
ちょうどバスがくる時間だったので、すぐ高速バスの停留所までいった。しかし、時計を忘れてきたことに気づく。取りに帰れば次のバスになり1時間遅れる。しかし、5時までには着くだろう。迷ったが、取りに帰ることにした。看護婦の話ではもう危ないという感じだったから、もし明彦が亡くなったら、不案内な横浜で、しかも役所が閉まっている日曜日のこと、どうしようか、と繰り返しあれこれ考えた。
舞子で高速バスを降りて、JRに乗り換え、新大阪まで。
退職を迎えて自由を愉しもうと思っていたところ、自身重大な病気に懸かっていることが発見され、左手の痛みがずっとある。そのうえに弟がこんなことになってどうしようもない。ひたすら耐えるしかない思いだった。…
新大阪から新幹線に乗った。車中ずっと本を読んでいた。先に博多へ出張したときに買った古代史の本『天皇と日本の起源−「飛鳥の大王」の謎を解く』(遠山美都男著)
先に古代史関係の本を2冊読んだ後だったので、博多駅構内の本屋で目にして買ったものだ。それなりに興味深く読める。先日博多へは、以前から読みかけていた文庫本、ジェイン・オースティンの『説き伏せられて』(岩波文庫)をもっていって、旅中に読み終えた。オースティンはやはり非常に愉しく面白く読めた。この作者のものをもっと読みたい思いを感じた。博多の天神駅まで夕食を取りに行ったとき、ジュンク堂書店…
(今は3月2日、日記をつけるのさえもなかなか思うにまかせない。本質的な失語症的な状態のせいだ。)
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