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  • 2015.07.11 Saturday
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【短篇】 街路にて  (2)

 

 つまり、相手が気の弱い男であるならば、ぼくの視線に傷つけられたように感じるだろうし、相手が気の強い人物ならば、面と向かって見られることを敵意ある挑戦ととるかもしれない。
 相手が健康で正常な人ならば、ぼくを無視するか憐れむべきとるにたりない存在だと感じるだろう。
 若い女ならば、ぼくのような取るに足りない貧弱な男に見られることを心外に思うだろうし、それが魅カ的な娘であったとしたら、なおさら彼女を見て目で快をむさぼるというぼくのあさましく卑しい下心が公衆の面前で明るみにさらされることになり、その上彼女はぼくを鼻で笑うだろう……

 これは理屈ではない。ただ、理由もなくぼくはそんな気持ちによくなったものだ。用もなくひとりで人中に出かけてきたこと、そしてあわれな泥棒犬のようにうしろめたい気持ちをいだきながら、ぼくのために存在するのではない若い女たちの顔や手足やうなじや胸のところを盗み見ているのだということ……そうしたことがみんな明るみに出て、笑われ、蔑まれ、〈非難〉さえされるといった気がするのだ。他のすべての正常な人々にくらべて、自分は異常に孤独なできそこないである。(そんなふうにぼくは

常に感じていた。)孤独であるということ、それは貧乏人、ルンペン、不具者、犯罪者であることよりも悪いことだ。なぜなら彼らのほうが仲間と親しくしたり、入々の中で自由に気軽に冗談をいいあったり、いたずらをしあったりすることを心得ており、普通のことを普通におこなって生活する術を知っている。どんなに不具な入間でもオレよりはずっとまともであり、ずっと人間味がある。オレときた日には、いつも陰気なアナグマみたいに人を避けてばかりいて、誰とも親しい言葉をかわすことがなく、人間としてごく普通の交わりをもつことさえないのだから。……

 くる日もくる日も、こんな思いを繰り返しながら路上を歩きまわる。するとふしぎなことこに、やがてぼくにはこうした自分のありかたがすべてひどく意味のある、特別のことのように思えてくるのだった。こうしたことは何かしら独自の高められた体験であって、そこには人知れない深い価値が潜んでいる。普通一般には知られることもなく理解されることもない、捨てがたい独特の要素がここにはある、そんな気がしてくるのだ。それが何であるのかは、ぼく自身にもはっきりしていなかった。

 

 そんなわけで、くる日もくる日も虫けらのように街々をほっつきまわった。泥棒犬があちらこちらで食物をあさり、匂いをかぎ、みじめったらしく徒労に走りまわるように、ぼくはいたるところで女たちの姿を盗み見ては、甘さをむさぼり、そしてそのわずかな甘さをもっと強めるために自分を紙屑のようにみなしてあざ笑うのだった。このみずからあざ笑う気持には、それでまたふしぎな甘さと慰めがあった。できるだけこっぴどい罵りの言葉を探しだしては、それを自分に当てはめてわれとわが身をさいなむのである。〈言葉の短刀〉でみずからの胸を思いきりぐさりとえぐり、それから何度も繰り返して切りさいなむである……

 もっとも、実のところはそれも一つのゲームにすぎなかった。そのことは自分でも充分に承知していた。要するに、そんなふうにして、ぼくは自分で自分の心を慰め愉しませてやっていたのだ。

 とはいっても、実際のところそんな慰めに甘んじてばかりはいられなかった。自身の本質的な無力を感じることにともなう何ともいいがたい不満の感じが、くる日もくる日もぼくをさいなんでいた。

『N※※やC※※など、世界の成功者たちは、オレの年齢ではすでに華々しい成果をあげていた。オレはいまだに何も始めようとはしない』

 そんなふう、ぼくはよく自分にいったものだ。

『おい、意気地なしの虫けらめ』とぼくはよく自分に向けて言いった。『何者かであろうと思うなら、おまえはいますぐ計画をたてて偉大な一歩を踏みだすべきではないか。そうしないかぎり永久に踏みだすことはないだろう。それとも生涯虫けらでありたいと願うのか……』

 ぼくは自分の中に力を見出そうとした。が、そこには何も見当たりそうでなかった。ぼくは憂欝になり、イライラし、いっそうひどい無力状態におちいった。そうなるとますますひんぱんにN※※やC※※のことが引

き合いにだされ、あのような存在でないかぎり、「自分の生涯は永久に無だ」という無茶苦茶な観念をふりかざして、自分を無理矢理駆りたてようとするのだった。

 もっともこれもまた一種のゲームであり、単なる道化芝居にすぎな

い、そのことはちゃんと自分で承知していた。

 

 そんなある日、突然、自分が虫けらである事実に反逆を企ててみる気になった。

 というのはほかでもない。ある〈素敵な着想〉が天から降って湧いたのである。

 こうしたことはたいてい突然に起こるのだ。天から降るというのではないにしても、どこからともなく奇跡のように忽然と湧いてくるのだ。

 

 その素敵な着想とは、簡単にいえばこうである。

 自分はいつも人の前に出ると、相手に比べて、自分のことを〈吹けば飛ぷような軽い存在〉だと感じる、逆らいがたい傾向がある。

〈何者かである〉ためには、ぜひとも自分の中に〈自信〉を養い育てなければならない。そこでひとつ実験をやってみるのだ。

 その実験とは、つまり「内心は別として少なくとも外観だけは、あたかも自信のある人間であるかのように振舞う」というものだ。

 つまりこうだ。ぼくには自分の存在を人に対して申しわけないもののように、すまないもののように感じる困った性避があり、それは自分でもどうしようもないものだ。人に対して常に遠慮がちにしりごみし、人の気を害するのではないかという恐怖心に支配されている。人がそばにいると落ち着かず、浮き足だった状態におちいり、すぐさま逃げ出したい気持にならずにいることは不可能といったありさまである。自分という人間が人とくらべて、軽くて滑稽で馬鹿げているという気がしてしまうのだ。相手にくらべて自分をずっと価値の低いもののように、実にとるに足りないもののように、いや、そればかりか…

 


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