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  • 2015.07.11 Saturday
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病院訪問、複雑な状況、弟の病状は…

(7年くらい前の日記から)

 昨日、病院の医師から、病状を聞く。もう長いことはないという。治療しても効果があがらないどころか、数値が余計に悪くなっていく。今は治療の手だてもないので、痛みを抑えながら、様子をみるしかない。云々…云々…

 

 弟の宏喜は全身あちこちに痛みを感じながら、日々をベッドで過ごしている。歩くことは出来るが、歩くと痛むのだという。宏喜の顔、相貌がいつもとはちがって、きれいに、ある意味、崇高に見えた。口の髭をそっていなかった。

 気の滅入るところだ。もちろん、宏喜が可哀想である。

 

 ぼく自身の精神にとっても、一つの危機だと感じられる。つまり魂がどうしようもなくメゲルのである。それに抗して前を向いていく心の姿勢を保たなければ、潰れてしまうと感じる。

 
 
昨日横浜へ行く途中の新幹線の中で読もうと、アンリ・バルビュスの『地獄』(岩波文庫)を持っていった。昨日から少しだけ読み始めていた。最初の方で、今の自分にはあまりおもしろくなさそうだ、読むのを止めようか、と何度も思いながら読んでいたところだが、今日新幹線の中でほぼ半分近くまで読んだ。

 たしかに素晴らしい才能だ。けれども自分が求めるのは、プルーストのようなものであって、こういう作品ではない。恐ろしい容赦のない絶望がここには立ちこめていて、人は孤独だ、決して孤独から抜け出ることはない、人は死に向かって進むだけだ、すべてがそれに帰する、人間が経験するどんな喜びも最終的にそこへ向かっていく限りは無意味である、ということを、豊かで素晴らしい表現力で、これでもか、これでもかと繰り返す。何とも苦しい気持ちにならせる作品世界だ。救いがまったくない思いにならせるのである。びっしり書き込まれているせいもあるのか、いや、それよりも暗くたれ込めて、まったく救いのない文章なので、読んでいるととても苦しい。

 バルビュスを半分ほどで中断して、横浜へ着いたころから、もう一冊持っていた本を出して読んだ。それは鷲田小弥太著『パソコンで考える技術』 
 これはずっと以前一度読んだことのある本で、これは非常に面白いし、軽く読める。帰りもずっと読み耽って、ついに一冊読み終えた。

 
 
朝、九時過ぎに家を出て、横浜の病院へ。
 
夜十一時半ころ家に帰ってきた。
 
心に重すぎる陰があって、どうしようもない。何とかそれを乗り切るしかない。たしかに人生は陰に満ちている。暗いことや死や破滅や泥沼が至るところにある。そういう災難、惨めさは、いつでも人の暮らしの中へ侵入してくる可能性がある。そういうことを感じるとき、人生の惨めさの感覚が生じて、気が滅入り、くじける思いになる。そういう至る所で惨めさに隣り合わせている暮らし中にあって、バルビュスのように、救いのない絶望、虚無の心ではなく、生きることの喜びへと手をさしのべる心の必要があると感じた。絶望、虚無に蝕まれる生き方は、悲惨のなかで悲惨のまま終わってしまう。悲惨は悲惨、人生は悲惨に満ちている。それは抗いようのない事実だろう。けれども、そういう中にあって、自分や周囲の悲惨を現に目にしながらも、生きていられる限りは、絶望の方向ではなく、希望の方向に目を向けていることが重要なのではないか。通常、みな人はそうしているのではないだろうか。

 

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