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  • 2015.07.11 Saturday
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価値は、彼女自体の中にはなく、彼女によって彼が感じたものの中に

 相変わらず彼女のことを思う。
 思い浮かべられるイメージは、どちらかというとそんなにきれいでもなく、魅力的というのでもない。彼女を見るときのあの喜びはもはや蘇らない。いったいあれは何だったのだろうか。単なる迷いだったのだろうか。

 いや、迷いではない。あれは明らかな事実なのだ。彼女を見て素晴らしい希有な喜びの情を感じていたということは。

 ときどきはっと驚くことがある。

 彼女への思いの本質(そのもっともすばらしい本質)は、可愛いとか、愛してやりたいとか、守ってやりたいとか、いったものではない、ということ。

 彼女を「思う」ことが一つの驚き、戦慄、あってはならない、あるはずもないこと、というイメージがある、まさにその感じがその本質であるということ。

 その驚きの感じ、正体を鮮明に認識することはできない。(戦慄、驚きの裏面は、羞恥の心、恥ずかしさである、という気がする。)

 日記を読み返してみても、もはや彼女と顔を合わせることもないかもしれない、彼女を明日見られるあてがあるのでもなく、もうこれで永久に別々の空間で暮らすようになってしまうような気がしているいまでは

「かつて彼女を見てあのようなものを感じたこと」
「彼女に思われていたかもしれない、すくなくとも彼女に自分の思いを知られ、それなりの心の通じ合いのようなものがあったかもしれない、といったこと」も、今となってはもう意味もなくなってしまったのだ。

 ふたたび彼女を見て、彼女と心が通じ合い、彼女を思い、彼女に思われるかもしれないといったことが将来にありえないなら、かつて思われたかどうかといったことに、何の意味があるだろう。……

 この項で書くべき本質は、かつて感じたことがまったくの幻覚=無意味だったということではない。

 そうではなくて、あれは「まぎれもない価値」だった、

 結果的に「単なる幻覚だった」という結論が出たとしても、

 その幻覚が生んだものには、まぎれもない真性の価値がある(あった)、ということだ。

 たしかに幻想、幻覚の類は、通常結果的に否定的な評価にいたるようだが、そんな幻想・幻覚が生じてそこに、この世にありえないような類の喜び、言葉ではいいようのないような価値の予感(実感)がそこから得られたのなら、まさにそんな予感(実感)こそ、真に価値があるというべきではないだろうか?

 思うに、これは、こういうことになるのではないか。

かつて彼が見て喜びを感じていた相手である彼女その人〉にそのような価値があるということではなく、〈かつて彼が彼女を見て感じていた喜びそのもの(いいようもなく深い憂愁の色に染まっている)〉に価値があるのだ、ということ。


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