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  • 2015.07.11 Saturday
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漱石の心の深いところにあったと思われる根深い「癖」

『漱石 母に愛されなかった子』(三浦雅士著、岩波新書)から

 『三四郎』『それから』『門』は初期三部作と言われる。
 初期三部作がひとつらなりのものとして読まれるのは、「不幸な恋愛」というひとつのかたちが主題になっているから。
 初期三部作の「潜在的主題」は、「愛されていることに気づかない罪」。これはまた「愛していることに気づかない罪」でもある、と三浦雅士さん。

 『三四郎』でいうと、主人公が美禰子に心を引かれ、美禰子にもその心があるように見えたのに、三四郎は「自分は愛されていない」自分の方も「彼女をそれほど深刻に愛しているわけではない」と、勝手に決めこんで、自分からは積極的に出ない。「それなら自分はそれでいいんだ(消えてやるから)」とというわけ。

 つまり、ここで、三四郎は『草枕』の主人公と同じように、世の人情に深入りして、危険な状態(苦しすぎる状況)におちいることのないように、「間八尺」の距離を置いているわけだ。

 三浦雅士さんの言葉で言えば、

《(美禰子は)三四郎に好意を持ったのである。それは三四郎が好意を持ったことへの応答なのだ。にもかかわらず、はかばかしく対応しなかったのは三四郎のほうなのだ

  『それから』においては、三四郎が美禰子を「見捨てた」のとまったく同じように、主人公・大助が過去に三千代という女性を「見捨てた」ことが問題になる。
 三千代は三角関係にあったもう一人の男と結婚しているが、幸福とは言えない。
 作品は、大助が三千代たち夫妻と再開するところからはじまっている。

 この作品は、ある意味で、主人公・大助が過去の自分の過ちの本質を自覚していく(再確認していく)過程を追求しているともいいえようか。
 三千代jという、本能的に本質を見据えることのできる女性によって、大助のあり方の問題点、逃げ腰で卑怯であるという本質が次第に明るみに出されていく。

 大助も三千代もどちらも愛し合っていたのに、大助は自分から勝手に三千代の側の心に回り込んで、愛されていないとひとり決めして、三千代を見捨てたのだ、という事情が明確になっていく。

 大助の方は、必ずしもそう思っていない。三千代は自分を本気では愛していないのかもしれない、こういうことで一人の女性を争うのは自分の在り方ではではないと考えて、「いさぎよく後へ退いた」と思っている。
 主人公は三千代の心のことをほんとうに考えるよりも、愛されていないかも知れない(多分そうだろうという前提を自分から勝手に作り上げているのだ。そうすることによって、愛されていないことを知る深刻な苦痛(恐怖)から予め身を守っている
 と同時に、愛れていないのなら、いさぎよく自分から身を引く、つまり、自分が良い子になって、愛されたいと思う人の目の前から消える、という理想の形を実践している、のである。
 ところが、三千代はそういう大助の心の在り方の本質を見抜いていて、なぜ捨ててしまったんです」という本質をずばりと射る問いを大助に向けて発する。
 大助にとっては、それは予期しない問いだった。このようにして、大助の心の在り方の本質(それは三四郎の心の在り方でもあり、漱石の心の在り方でもあっただろう)が、三千代をとおして次第に明らかになっていく(自覚的になっていく)。

 漱石の心の深いところにあったと思われる根深い「癖」が、ここでも表れていることがわかる。それは母から「おまえなんか消えてしまうがいい」と言われて、「それじゃ(お望みのとおり)消えてやるよ」といって、家を飛び出してった、坊ちゃんと同じ心の癖である。

 三浦雅士さんの文章から引用。

《『それから』で焦点となった問題とは何か。なぜ捨てたのかという問題です。本人(大助)としては、捨てたのではなく、捨てられた、みずから進んで捨てられた、ということかもしれないが、それは捨てたということと同じである。(…中略…)
 じゃあ、消えてやるよという論理は受動的に見えるが、とんでもない。能動的、いや、攻撃的でさえあるのだ。大助がぎょっとするのは、三千代が最初からそれを見抜いていたからである。あなたは捨てられたのではない、捨てたのである。》

大助が問いつめられているのは、じゃあ、消えてやるよと言ってしまう自分とはいったい何であるかという問題です。それこそ母に愛されなかった子という主題の核心である。


心の鎧
 
代助みずから、三千代は平岡よりも自分を愛しているかもしれないという考えを封じてしまったからである。なぜ封じてしまったか。万にひとつも愛されていないという答えを聞くことには耐えられなかったからだ。耐えられなかったから最初から封じてしまったのだ。超然としていたかった。それこそ、世界はすぺて間二尺も隔てていれば落ち着いて見られるのである。その論理に逃げてしまった。》

《『それから』の発端になる恋愛のかたちは、突きつめてしまえば、おまえのようなものの顔は見たくないと母に言われて親類へ泊まりに行き、泊まりに行っているあいだに母に死なれてしまったという『坊っちゃん』 のパターンと同じです。おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった、母は兄ばかり晶展にしていたという思い込み、つまりそうとでも思わなければやっていけないという心の鎧がそのまま人格になってしまえば、つねにそういう行動をとってしまうことになる。

 代助は、三千代を捨てたわけだが、捨てる前に、自分のほうから進んで捨てられてしまっているのです。坊っちゃんにしても同じだ。自分のほうから進んで捨てられてしまうことによって、母を捨てているのだ。松山と松山中学に対してとった行動も同じだ。》


漱石 「多額の金を使い込んだ夢」

『漱石 母に愛されなかった子』(三浦雅士著、岩波新書)より

◆登校拒否中の昼寝時に見た夢
 

(三浦雅士さんの文章から)
【漱石は登校拒否者だった。本人みずから、毎日弁当を持って家は出るが学校には行かずに道草を食って遊んでいた、というのだから間違いない。
 第一中学入学は十二歳。一年の頃からぶらぶらしていたというのは不自然だから、十三歳、二年生になってからだろう。十四歳になった正月の九日に母が亡くなり、その春には中退しているわけだから、十三歳の頃としか考えられない。】

 『硝子戸の中』第三十八章で、漱石は母の記憶を語っている。

【あるとき、私は二階へ上がって、たったひとりで昼寝をしたことがある。その頃の私は昼寝をすると、よく変なものに襲われがちであった、と漱石は語りはじめる。親指が見る間に大きくなって止まらなくなったり、天井が下りてきて胸を抑えつけたりといった夢である。そしてそのときも、そういう悪夢に襲われたというのだ。
 私はいつどこで犯した罪かも知らないが、なにしろ自分の所有でない金銭を多額に消費してしまった。それを何の目的で何に遣ったのか、その辺も明瞭ではないけれども、子供の私にはとても償うわけにはいかないので、気の狭い私は寝ながらたいへん苦しみだした、そうして仕舞いに大きな声を揚げて下にいる母を呼んだのである、というものである。】
 母はすぐに二階へ上がってきた。苦しみを訴えると、母は微笑しながら、心配しないでいい、おっかさんがいくらでも金を出してあげるから、といってくれた。それで私はたいへん嬉しかった。
「この出来事がぜんぶ夢なのか、または半分だけほんとうなのか、いまでも疑っている」と漱石は書いている。

 つまり現実であったはずがないというような思いもあったのだろうか。
 三浦雅士さんは、これは十三歳のとき(登校拒否中)のことだろうと推測している。

 ここで僕が興味深いと感じたのは、漱石が見たという夢の内容。
 このような夢のことを作品に取り入れたいという思いがかねてからずっと自分の中にあるからだ。

 なぜだろうか? こうした夢には自分(人間)の心にとって「何か本質的なもの」があるという気がするのだ。これは興味深い問題である。 
 

『漱石 母に愛されなかった子』◆文稠擇惑である=自殺と狂気の研究)

『漱石 母に愛されなかった子』(三浦雅士著、岩波新書)
 ◆慍翡擇惑である』


◆「猫」は作者自身の分身

 主人公は「捨て猫」。これは「捨て子」であり、漱石自身の幼いころの境遇を思わせる。
 三浦雅士さんの文章を引かせていただくと、

《漱石は、自分が父母に愛されなかった子であり、ほとんど捨て子に近い存在だったと思っていたに違いないが、しかし、そこで感傷に溺れているわけではまったくない。そうではなく、それはいったいどういう意味を持つのかと密かに問いかけているのである。それが『吾輩は猫である』全篇をつらぬく笑いの意味である。》 
《読者の同情を引こうとしているわけでもない。逆に、そういう自分を突き放し、その自分に起こったこと、起こっていること、そのせいでくっきりしてくる自分というものの仕組みを、問いの対象にしようとしている。それが笑いとして表れてきているのだと思われます。

 『硝子戸の中』で、漱石は自身の病気(九死に一生をえた)のことを書いている。
 人に病気をたずねられたとき、どうにかこうにか生きていると答えるのをやめて、病気はまだ継続中です、と答えることにした、と漱石は記している。

《興味深いのはそのあとである。漱石は、継続中のものはおそらく病気ばかりではないだろう、と考えるのです。そして、人の心の奥には、私の知らない、また自分たちさえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか、と述べている。さらに、所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いていくのではなかろうか、ただ、どんなものを抱いているのか、人も知らず自分も知らないので、幸せなんだろう、と続けている。》

 笑いは恐怖の裏返し。恐怖が回避された瞬間人は笑う。恐怖と笑いは紙一重。
 笑いのめしているが、冒頭は猫殺しの場面、締めくくりはその猫の自殺、ビールを飲んで酔っぱらって水死する場面。描かれているのはむしろ陰惨なこと。
 迷亭君がこんな法螺話をする。僕らの五、六才の時までは女の子はかごに入れて天秤棒で担いで売って歩いたもんだ。
 幼い頃、義理の親に、小さい入れ物に入れられて大通りの夜店に曝されていたという経験が漱石にはあったから、これは単なる冗談ごとではない。

 ◆『吾輩は猫である』の重要な主題のひとつは「自殺」

『吾輩は猫である』の重要な主題のひとつが自殺であることは明らか。最初から最後まで、自殺の主題が見え隠れする。
 第一章は捨て猫の描写で始まる。この捨て猫は(苦沙彌先生同様に)明らかに漱石自身の分身でり、猫は最後に自殺同然の死に方をして世の中から消えていく。
 第二章では迷亭が「首懸(くびかけ)の松」の話をする。だれでもその松の下へ来ると首が縊りたくなるという松の話。(もちろん法螺話。)」
 次に寒月が、「遠くからの声に惹かれて橋の上から身を投げる」という自らの体験を話す。川の中に飛びこんだつもりが橋の真中に跳び下りていた。
 第三章では「首縊りの力学」が話題になる。苦沙弥先生によれば、いずれ自殺もだいぶ研究が進んで科学になり、倫理の代わりに自殺学が正式な学科になるだろうという。

《たしかなのは、漱石のなかに、人間の運命は自殺に帰するという考えが抜き去りがたくあったということ、生きているのが苦痛だという意識がきわめて強烈だったということだけです。これはやはり、母は自分を愛していなかったのだ、自分は生まれてこないほうが良かったのだ、という疑いがあったからだ、と言いたくなりますが… 》

 自殺=じゃあ消えてやるよ… ということになる。
 消えてやるよというのは、《母の立場に立って、自分がいないほうがいいのではないかと考えているから出てくる判断であって、自分から出発した判断ではまったくない。》
《自分で自分がいなければいいと思っているわけではない。自分から離れて、母の立場に立って言っているのだ。》
《じゃあ、消えてやるよと言いながら、そのとき自分は、母の側に回りこんでしまって、どこにもいないのである。負の存在としてしか存在していない。》
《自分は母に愛されていない、母に必要とされていないと疑うことは、自分が母の身になってはじめてできることである。これは重要な事実である。そもそも自分というものじたいが母の身になってはじめて成立することだからです。》
《自分とは、もっとも身近な他者の眼から見た自分のことであって… 自分は他者の眼があってはじめて自分になるのであって、一般的に言って、その他者の眼とはもっとも身近な養育者、すなわち母親である。》
 
 母親は自分の存在を望んでいない。そうであるなら自分は消えた方がいいのではないか(消えるほかないのではないか)… 自殺へと向かう心の基本的な問題… 
 
◆『吾輩は猫である』を貫流するもう一つの主題「狂気」

《(自殺についてと同じく)狂気にしても同じです。漱石は、自分というものの仕組み、人間の仕組みは、狂気に隣接していると考えたのです。》  

 人間の世界はもともとそういう証明が不可能な基盤(=狂気)の上に立っている。
 
《漱石はその論理を、自分は母に愛されていなかったのではないかという、本来は証明不可能な問題への、根元的なこだわりから導きだしているのです。笑い、自殺、狂気は、すべて、母の愛と同じような証明不可能な足場の上に立っている。『吾輩は猫である』はまさにこの足場そのものの研究にほかならなかった。》 


 自殺と狂気。漱石の作品の主要テーマがそこにあったと認識を新たにすることによって、漱石の作品に対して感じてきた謎の核心が見えてくるような気がする。
(繰り返し出てくるテーマ、死にたいという女性とか、水に浮かぶオフェリアのイメージ、狂気を秘めた女性など)


『漱石 母に愛されなかった子』 (三浦雅士著、岩波新書)

 

 

『漱石 母に愛されなかった子』 (三浦雅士著、岩波新書)

 

母の死ををめぐって描かれたエピソード(『坊ちゃん』)

 母が病気で死ぬ二、三日前、坊ちゃんは台所で宙返りをしてかまどので肋骨をひどく打った。母がたいそう怒って、おまえのようなものの顔は見たくないと言うから、親類へ泊まりに行った。その泊まりに行っているあいだに母が死んだ。
坊っちゃんは、母の言葉を言葉通りに受け取って、じゃあ、目の前から消えてやるよ(そちらがそのつもりなら、そのとおりになってやる)とばかりに病人の母を置き去りに、親類の家に泊まりに行った。これは、明らかに「拗ねている、僻んでいる」としかいいようがない心理である。乱暴もいたずらも父母の気を惹くための行為だったといえる。
 まさか母が死ぬことになるとは思いもしなかった、その坊ちゃんが帰ってくると、兄が「親不孝者(母の寿命を縮めたのはおまえだ)」とばかりになじる。坊っちゃんとしては、愛されていることを確かめたくてしたことが、ことごとく裏目に出た。口惜しくて悲しくてたまらないのは白分のほうだ。そこで兄の顔を殴ってしまう。また叱られる。
 面白おかしく書いているので、つい軽快に読み飛ばしてしまうが、ことは母の臨終にまつわることである。
 漱石自身、親類の家に泊まりに行って母の臨終に立ち会っていない。親類へ行っていて立ち会えなかった、と後年になって書いている。

◆四国に赴任してからとった坊ちゃんの行動

 坊ちゃんの痛快無比の行動。それはすべて「母の臨終のときに坊ちゃんがとった行動の焼き直し」である。「じゃあ、消えてやるよ、という潔くもあれば捨て鉢でもある構え」からでている。
 中学の校長に辞令をもらうとき、「生徒の模範になれ、徳を及ぼせ」といわれ、坊ちゃんは、とうていそれはできない、辞令をお返しします、という。
 もちろん真正直で一直線な性格を表しているといえるのだが、よく考えてみると、校長と坊ちゃんとどちらが滑稽なのかわからない。
 最初から坊ちゃんは喧嘩腰。小さな漁村で、人を馬鹿にしている、田舎者のくせに人を見くびったな、と思う。宿屋では、見くびられるのが嫌さに、大枚の茶代まで出す。馬鹿にされたくないという意識が強烈。最初から馬鹿にされているにちがいないと思いこんでいる。
 赴任先の学校でも、この調子が続いていく。自分に対しては誰も好意的ではない、好意的であるはずがない、と思いこんでいるかのよう。(被害妄想的)
 そこに坊ちゃんの心の根深い癖がある。
 他の教師にきくと、教壇に立って一カ月くらいは自分の評判が非常に気になるそうだ。しかし自分はそんなことはまったくなかった。他人が自分をどう見るかなど平気の平左だ、とうそぶいている。そうできるのは、うまくいかなければいつだって辞めてほかへ行ってやる、という逃げ道があるから。
 これは母親に対する心の癖の繰り返し。母親がおれを愛しようがいまいがそんなことはどちらでもいい。自分はその痛みを無効にする手段(すぐにでも消えてやる)を持っているのだから。(痛みを無効にする手段でもあり、相手に罰を与える手段でもある。)
《坊ちゃんは単純で生一本、愛すべき性格の典型のように思われているが、なかなかどうしてそんなものではない。日本の小説のなかでも、複雑怪奇な性格の代表選手のようなものなのです。》 
 そういわれてみると、たしかに坊ちゃんには根深い心の癖がある。視線を変えて見ると、母親にだだをこねる子どもといった像が重なってくる。母親に愛されていないと思い込み、注意を引きつけるために無鉄砲をし、そちらがそうならこちらにも覚悟はある(いつでもすぐに消えてやる)と思っている。
 それが随所に表れるのをみると、あまりの赤ん坊ぶりについ笑いたくなる、そんな性質の可笑しさがある。

 

◆<u>下女・清(きよ)の存在意味</u>

 長く奉公していた清という下女だけは「坊っちゃん、坊っちゃん」と呼んで可愛がってくれたと、『坊っちゃん』には書かれている。
 清が坊つちゃんを可愛がるその可愛がり方はいささか常軌を逸している。常軌を逸した可愛がり方が滑稽なまでに書かれている。いたずらをして叱られても、坊ちゃんに代わって親に謝ってくれる。人がいないときに、あなたは真っ直ぐでよい御気性だと言って褒めてぐれる。褒めるということは、人として認めるということである。誰ひとり認めてくれないなかで、清だけは認めてくれたということになる。坊っちゃん白身、もちろん小説中では「おれ」という一人称が使われているわけですが、清のそういう愛のかたちに戸惑うほどで、まったく愛に溺れてれていたのだろう、もとは身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない、と述べている。身分のあるというのは、清が、明治維新で没落したにせよ、もとは支配階級たる士族の出であるということです。

 父母と清の、坊っちゃんに対するこの向き合い方の違い。
 一方は教育のある愛、他方は教育のない愛、つまり理知的な愛と盲目的な愛ということになる。
 子供は少なくとも三、四歳くらいまでは清のような愛、愛することだけを目的とするような無私の愛を必要とする。あなたがいるということは、いるというそのことだけで十分にいいことなのだと、言い含めるような愛惰をぜひとも必要とする。そうでなければ、子供は、自分はここにいないほうがいいのではないかと感じてしまう。
 漱石がそういうたぐいのことを感じ考えていただろうことは、『坊っちゃん』の母の死をめぐって描かれたエピソードからも明らか。

 清は何を言っても褒めてくれると坊っちゃんは述べているが、人間はそういう存在を必要とするのだ。とりわけ幼年時代には必要とする。にもかかわらず、坊っちゃんの両親はそうではなかった。だから、清の話が出てくるそのつど、坊っちゃんは父母の情愛には恵まれなかったんだ、<u>少なくとも本人はそう思っていたんだ</u>と思わせる。母への心理的なこだわりが清を生んだと言わざるをえない。


(ご存じのとおり、漱石は幼少期に親元から離れて養子にやられている。やがて元の両親のもとにもどってくるが、そこには深刻で複雑な体験、心的外傷というべきものがあったにちがいない。)
 


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