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  • 2015.07.11 Saturday
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原爆の忌まわしい歴史直視を  チョムスキー教授

  2005年ころの新聞切り抜き(毎日新聞)の記事から。


 「原爆の忌まわしい歴史直視を――マサチューセッツ工科大のチョムスキー教授に聞く――」

◆米国民の原爆感を知るショック

 これはアメリカ人であるチョムスキー氏がアメリカ人の本質を知ったときのショック。でもわれわれ日本人のショックでもある。

 16歳の時、彼(チョムスキー少年)はフィラデルフィアで林間学校に参加していて、ラジオで原爆投下を知った。
 「そのとき周囲の子どもたちが歓声を上げた」のに、彼は非常なショックを受けた。

 さらに彼に衝撃を与えることになった光景。

 50年代にボストンで上映された原爆投下の記録映画「ヒロシマ」を見たときのこと。これは「ポルノ映画」という触れ込みっだった。

被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた。

 「米国はアパッチ、ブラックホークなど、自ら虐殺した先住民の名前を兵器につける国だ。もしドイツ空軍が戦闘機を「ユダヤ」などと名付けたら、どう思うだろうか。」

「原爆投下はおぞましい犯罪だ。個人的には東京大空襲はさらにひどい犯罪だと考えている。しかし、戦争犯罪を定義したのはニュルンベルク裁判だった。枢軸国の行為のみを戦争犯罪、平和に対する罪と定義し、大都市への空爆など連合国もした行為は定義から除かれた。」

◆問題はそういうことが「特殊」ではなく「一般」であるということ

 日本に原爆が投下され、恐ろしい被害を与えたのを知ったとき、

 「子どもたちが歓声を上げた

 それはありそうなこと、当然あると予想されることである。
 何しろ、日本は憎むべき凶悪な敵国、アメリカに甚大な被害と恐怖を与えようとした国なのだから。

 国民感情、特に戦争、国際紛争などがからんできたときの国民感情は、通常そのような強い盲目的な偏見に導かれるものなのだ。

 「ヒロシマ」の映画を見ながら、観客が

 「被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた。

 アメリカ軍が投下した原爆で、おびただしい数の人間が一瞬にして死に、あるいは恐ろしい破滅と苦しみを被った。そのさまが、多くのアメリカ人に笑いと快楽を与えた。
 ちょっとひどいと思われるだろうが、こうした恐ろしい面が、あるいは愚かしく無恥な面が人間には、ごく一般的にありうるのだ、という思いを抱かせる。

 つまり、われわれ日本人だって、中国、韓国にたいして、言語に絶するひどいことをやってきた。そんなひどいことを日本人の多くは積極的に声援し、恐ろしい不正を正義だと信じながら参加し、国民一体となって罪を犯してきたのだ。
 或いは、もし原爆投下国が日本で、被害国がアメリカ人であったとした場合、多くの日本人は、アメリカ人に劣らず大歓声をあげて喜んだだろう。

 このような狂気、理性(冷静な良識)に反した感情の氾濫が人間集団にはありうるのだということ。

◆アメリカ人のなかにもあるこのような良識

 「原爆投下はおぞましい犯罪だ。個人的には東京大空襲はさらにひどい犯罪だと考えている」

 この記事を読んで、ぼくが何よりも最初に「嬉しい」と思ったのは、この問題について、アメリカ人の中にも、このように公正で自省的な認識をもった人たちがいるのだ、ということだった。

 こういう声がアメリカにおいても、もっと大きくなることを期待したいもの。
 
 原爆投下も、東京大空襲も、ベトナム戦争、アフガンの空襲、イラク戦争も、アメリカの行っている行為は、大規模農園で殺虫剤を大量に散布して害虫を全滅させる、というアメリカ式合理主義の延長にある。 
 
 いや、驚くべきことは、アメリカにおいては、戦争が遠い過去になった今でもなお、原爆投下(人間をいっせいに大量に抹殺するというおぞましい行為)について、「あれは正義だった」という一般的で根強い偏見が残っているらしいことである。

 さらにいえば、大量に抹殺したとしても、それがアメリカ人、あるいは白人とは本質的に異なる人間(日本人、ベトナム人、アフガン人、イラク人… )であるならば、それほど問題ではない、というような感覚があるように思われることだ。

 それは良識ある現代人としての感性と良心を欠くことである。けれどもアメリカ人は今なおそのような偏見から自由になれていないところがある、という気がする。
 

儒学が道徳教育の場に復権してくる(教育勅語〜大東亜戦争)

 

儒学が道徳教育の場に復権してくる(教育勅語〜大東亜戦争)

 (以下『漱石 ―母に愛されなかった子― 』からの引用(P59

 

《明治維新以後、西洋の影響は怒濤のように押し寄せて、明治政府も日本人も西洋の文化を吸収するのに必死だった。福沢諭吉はさしずめその旗振り役だったわけですが、しかし明治維新も十年ほどすると反動が訪れる。はじめは王政復古で、神道の前に儒教も仏教も吹っ飛んでしまったが、情勢が少し落ち着いてくると日本人の魂まで西洋に明け渡していいのかという議論が出てきた。

 道徳の復活である。道徳は神道にまかせられない。八百万の神というわけにはいかない。どうしても仁義忠孝ということになる。こうして、一八七九年、明治天皇の侍講である元田永孚(もとだながざね)が作成した「教学大旨」が示され、それまでは旧幕の色彩が強いために日陰者になっていた儒学が、教育、とくに道徳教育の場に復権してくることになった。洋学に対する漢学の反攻です。逆に、福沢諭吉の著書が小学校の教科書からはずされたりしている。この勢いがそのまま「教育勅語」まで続き、さらには大東亜戦争まで続く。

 天皇制と儒教の融合が画されたわけだが、それには昌平坂学問所の儒者がぴったりだった。道徳の中心を将軍から天皇に替えればいいだけなのですから。これが、一八八〇年前後から心次々に学問所出身の儒者が官立の教育機関に起用された理由です。》

 

 福沢諭吉(慶應義塾)は洋学、中村敬宇(同人社)は洋楽を取り入れた漢学、三島中洲(二松学舎)は漢学、これがそのまま三大塾の特徴。
 漱石はもともと漢詩漢文が好きで、漢学の二松学舎を選んだ。(中退した第一中学でも英語で授業を受ける変則科ではなく、日本語で授業を受けている。二松学舎も一年ほどで中退。)

 ほか、このページの前後に当時の学問(漢学、洋楽)の状況などが、興味深く記されている。 


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