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座りっぱなしの弊害は喫煙に匹敵
- 2015.07.11 Saturday
- 雑記事(日記・つぶやき)
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座りっぱなしの弊害は喫煙に匹敵
いったいこれは何? 村上春樹の作品について考えてみたい
- 2009.11.27 Friday
- 雑記事(日記・つぶやき)
- 04:25
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- by jouhouko
そのことで思いついたことを、片言でもいい、ブログに書こうと考えて、PCに向かうが、結局書けないで終わっている。
問題は、「読者を意識して構えてしまう」ことにあるようだ。
「読者などいないのだから、自分向けに気軽に書けばいい」と前回書いたばかりなのに。
村上春樹の作品世界は何なのか?
しばらくは、そのことについて「自分専用のメモ」として、記していきたい。
村上春樹はずっと長い間読まなかった。
4年ほど前に、世界のいろんな国で人気を得ている、というのをテレビで見て、一度確かめてやろう、と文庫本で買って読みはじめた。
『カンガルー日和』『螢・納屋を焼く』などの短編集。悪くはないが、どこがそんなにいいのだろうか、と思いながら、次に 『国境の南・太陽の西』『ノルウェイの森』……と移っていった。
村上春樹の文章世界にはまってしまったわけだ。
作品評なども読んだ。「村上春樹はくせになる」((朝日新書、:清水 良典著)というのを読んだときは、まさにそのとおり「くせになる」という気がした。
読むのが面白いというか、楽しいというか、どんどん読んでしまう。次を読みたくなる。
ある種、快感があるのだろうと思う。
いったいこれは何なんだろう? 単なるエンターテインメント作品なのか、それとも……
という思いがずっとあった。
『となりのカフカ』『ねじ巻き鳥クロニクル』『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』等々……
たしかにユニークでおもしろい作品世界が展開していく。
いったいこれは何なのだろうか? どこが面白く、どこがすばらしく、どこが評価されるべきなのだろうか。
そういう疑問、そういう思いがずっとあって、それを自分のために、確かめてみたいと思っていた。
あくまでも自分専用のページなのだから、中途半端でも、説明不足の切れ端でも何でもいい、気軽になんでもメモしてみよう。
それが当たっているかどうか、見当外れであるかどうか、人が読んだ場合通じるかどうか、ということにこだわりなしに。
要するに、ブログが置かれているこの場所は自分にとって「隠れ里」なのだから。
読者がいないから何でも気楽に書ける 【利点】
- 2009.11.20 Friday
- 雑記事(日記・つぶやき)
- 00:51
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- by jouhouko
思うに、このブログにもっと積極的に書き込み(投稿)することだ。
ブログそのものが、自分のための情報庫として直接役に立つことがなくても、掲上するという行為が精神を活性化するだろうから。
もとより読者を想定しないで、自分だけが知っている「メモ庫」として、使えばよい。
読者がいないからこそ、何でも気楽に書けるのだ。
自分の情報庫として、どう利用しようかということも考えなくていい。
ただ、読んだ本からのコピーや自分の感想や日々の思い、創作のために思いついたことなどが、そこに溜まっていくだけでいい。
後でそれが利用できるかどうかは、考えないで、ただひたすら溜め込むのである。
創作上での活用については、このブログではなく、たとえばノートなどで、行えばいいのだ。
必要に応じて、ブログ記事を印刷して、ノートに貼り付けるなど、実際の活用はあくまでもノートで行うのである。
原爆の忌まわしい歴史直視を―チョムスキー教授―
- 2009.05.10 Sunday
- 雑記事(日記・つぶやき)
- 23:32
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- by jouhouko
「原爆の忌まわしい歴史直視を――マサチューセッツ工科大のチョムスキー教授に聞く――」
◆米国民の原爆感を知るショック
これはアメリカ人であるチョムスキー氏がアメリカ人の本質を知ったときのショック。でもわれわれ日本人のショックでもある。
16歳の時、彼(チョムスキー少年)はフィラデルフィアで林間学校に参加していて、ラジオで原爆投下を知った。
「そのとき周囲の子どもたちが歓声を上げた」のに、彼は非常なショックを受けた。
さらに彼に衝撃を与えることになった光景。
50年代にボストンで上映された原爆投下の記録映画「ヒロシマ」を見たときのこと。これは「ポルノ映画」という触れ込みっだった。
「被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた。」
「米国はアパッチ、ブラックホークなど、自ら虐殺した先住民の名前を兵器につける国だ。もしドイツ空軍が戦闘機を「ユダヤ」などと名付けたら、どう思うだろうか。」
「原爆投下はおぞましい犯罪だ。個人的には東京大空襲はさらにひどい犯罪だと考えている。しかし、戦争犯罪を定義したのはニュルンベルク裁判だった。枢軸国の行為のみを戦争犯罪、平和に対する罪と定義し、大都市への空爆など連合国もした行為は定義から除かれた。」
◆問題はそういうことが「特殊」ではなく「一般」であるということ
日本に原爆が投下され、恐ろしい被害を与えたのを知ったとき、
「子どもたちが歓声を上げた」
それはありそうなこと、当然あると予想されることである。
何しろ、日本は憎むべき凶悪な敵国、アメリカに甚大な被害と恐怖を与えようとした国なのだから。
国民感情、特に戦争、国際紛争などがからんできたときの国民感情は、通常そのような強い盲目的な偏見に導かれるものなのだ。
「ヒロシマ」の映画を見ながら、観客が
「被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた。」
アメリカ軍が投下した原爆で、おびただしい数の人間が一瞬にして死に、あるいは恐ろしい破滅と苦しみを被った。そのさまが、多くのアメリカ人に笑いと快楽を与えた。
ちょっとひどいと思われるだろうが、こうした恐ろしい面が、あるいは愚かしく無恥な面が人間には、ごく一般的にありうるのだ、という思いを抱かせる。
つまり、われわれ日本人だって、中国、韓国にたいして、言語に絶するひどいことをやってきた。そんなひどいことを日本人の多くは積極的に声援し、恐ろしい不正を正義だと信じながら参加し、国民一体となって罪を犯してきたのだ。
或いは、もし原爆投下国が日本で、被害国がアメリカ人であったとした場合、多くの日本人は、アメリカ人に劣らず大歓声をあげて喜んだだろう。
このような狂気、理性(冷静な良識)に反した感情の氾濫が人間集団にはありうるのだということ。
◆アメリカ人のなかにもあるこのような良識
「原爆投下はおぞましい犯罪だ。個人的には東京大空襲はさらにひどい犯罪だと考えている」
この記事を読んで、ぼくが何よりも最初に「嬉しい」と思ったのは、この問題について、アメリカ人の中にも、このように公正で自省的な認識をもった人たちがいるのだ、ということだった。
こういう声がアメリカにおいても、もっと大きくなることを期待したいもの。
原爆投下も、東京大空襲も、ベトナム戦争、アフガンの空襲、イラク戦争も、アメリカの行っている行為は、大規模農園で殺虫剤を大量に散布して害虫を全滅させる、というアメリカ式合理主義の延長にある。
いや、驚くべきことは、アメリカにおいては、戦争が遠い過去になった今でもなお、原爆投下(人間をいっせいに大量に抹殺するというおぞましい行為)について、「あれは正義だった」という一般的で根強い偏見が残っているらしいことである。
さらにいえば、大量に抹殺したとしても、それがアメリカ人、あるいは白人とは本質的に異なる人間(日本人、ベトナム人、アフガン人、イラク人… )であるならば、それほど問題ではない、というような感覚があるように思われることだ。
それは良識ある現代人としての感性と良心を欠くことである。けれどもアメリカ人は今なおそのような偏見から自由になれていないところがある、という気がする。
JUGEMブログ 魅力的なブログと思う…
- 2008.12.10 Wednesday
- 雑記事(日記・つぶやき)
- 00:39
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- by jouhouko
一つの試みとして、JUGEMブログを開設してみた。
JUGEMブログは、いろんな点で、魅力的、興味を引かれるところがある。
文字飾り(文字色や一定の文字の強調)の点で非常にいい。
ただ、私の求めていた「非公開」で、かつ「自分だけが閲覧でき閲覧しやすい」という点では、あまり適当ではないという結論に。
ただ、文字強調など、デザインが非常にいいので、そのまま捨てて去るには、去りがたい感もある。
『コロー展』 ―神戸市立博物館― 2008年12月03日
- 2008.12.08 Monday
- 雑記事(日記・つぶやき)
- 01:12
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- by jouhouko
『コロー展』 ――神戸市立博物館――
2008年12月03日
朝10時過ぎてから、突然、神戸へ行く気になった。
神戸市立博物館(JR三宮駅近く)の『コロー展』。以前からぜひ行きたいと思っていた。
テレビで見て、インターネットでも調べ、コローの絵にはかなり興味を感じるところがあった。
日がどんどん過ぎていく。いつのまにか終了の12月 7日に近づいていた。
平日なのにけっこう人が多かった。
絵の数が非常に多く(小さな絵が多かった)、それぞれのコーナーはずらりと人が混んでいるので、思うように見ることができない。といっても、まあまあ楽に見ることができる方だっただろう。
平日だからだろうか。若い人は少なく、50才台から60才台くらいかと思われる人たちが次から次へとやってくる。とくに女性が多いようだ。こんなにたくさんの人が見に来ることに驚いた。
何しろ絵の数がすごく多いので、じっくり見てはいられない。
お目当ての一つ、《ティヴォリ、ヴィラ・デステの庭園》はやはり印象的。
風景の中央に、低い塀にラフな感じで少年が腰掛けている。
例によって人物は風景の中で小く描かれている。風景を先に書いて、後でアトリエに帰ってから人物を描き込んだらしい。
人物を小さく描きこんだことで、「心の原風景」的な深い印象を与えるものになっている。
もっとも見たいと思っていたのは、《モルトフォンテーヌの想い出》
これはたしかに文句なくいい。けれどもあらかじめ知っていたためか、疲れていたためか、なんとなく、じっくり見る余裕がなかった。
その絵の少し後に(展示の一番最後に)、《幸福の島》というのがあって、これも大作。
初めて見たこともあって、ビビッと強く感じるものがあった。印象としてはこれが圧倒的に残った。
《幸福の島》は、《モルトフォンテーヌの想い出》の少し後で制作された力作で、同じテーマを扱っている。
どちらの絵も自然が主役になっているが、自然の風景の中で、1本の木に向かって背伸びするように、若い母親らしい女性が何か(花輪?)を飾り付けているようす。すぐそばに幼い子どもがいて、やはり何かをしている。花輪を作っているのかも知れない。
モルトフォンテーヌの方はすばらしい風景が背後に展開されている。深い、実に深い精神的な喜び、陶酔を感じさせる風景である。
博物館ではじっくり見る余裕がなかったが、後でその絵の写真を見ると、やはりその深い印象はまぎれもない。
この絵は森と水を含む風景の素晴らしい深さ、光と影の綾模様の美しさ、美の極致という感じがする。
それだけではなく、描き込まれた人物の像が、人の心の奥底に眠る懐かしい原風景(すでに失われてしまったもの)を刺激するところがある、そんな気がする。
この絵の場合は、母と子というものの原像(心の原風景)のようなもの。
コローの絵は写真のようであるが、しかし、写真よりもずっと写真的である。
自然の風景を写真にとっても、自然がそのまま写しとられることはない。
風景のもつ深く生き生きした感じが失われる。自然を本来ある深い印象とともに描くことができるのは絵である。
コローの絵は単なるリアリズム、写実ではない。深い印象をそのままに保ちながらキャンパスに写し入れる、コローの絵はそういうものを感じさせる。
さらに晩年の絵には、単なる自然以上のもの、精神の中の深い風景といったものがとても感じられる。
《モルトフォンテーヌの想い出》のほうは左側に人物が小さく描かれている。
《幸福の島》では右側に樹木を巡って母親らしい女性と子どもが描きこまれている。
これがビビッと心に響いたのは、その大胆な構図、樹木と人物の背後(画面左側)に、画面を斜めに過ぎって、大きな崖のようなもの(黒い緑の樹木群に覆われている)がそびえていて、それが小さな人物の上に強い力で迫っている、落ちかかってくるような、強力なエネルギーを放射するような、そんな印象があって、眺めているうちに、オーケストラの音楽が湧き出てくるような気がするのだ。
あ、これは新しい境地だ、と感じられた。
《幸福の島》という題名からすると、これは幸福の境地なのだ。オーケストラの音はビビーっと幸福の音を奏でだしているのだ。
いずれにしても、今回の『コロー展』では、この絵の印象が唯一強く突出して残った。
《幸福の島》の絵の複製(写真)があれば買おうと思ったが、この絵はなかった。
よく知られた有名な作品に比べて、比較的評価されていないのかもしれない。それでやむをえず高価な本(2500円)を買った。それにちいさくこの絵が出ていたが、実物のような強烈な印象はなかった。けれども自分が感じたものはたしかだという印象だけは残っている。
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