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  • 2015.07.11 Saturday
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赤い靴をはいた女の子


「赤い靴をはいた女の子」の話―昔のテレビの番組から―


3歳か4歳のころだったと思う。

 大阪の従姉たちが、淡路島洲本の我が家へ来ることがあって、いろいろ歌を教えてくれた。

 童謡「青い目の人形」とか、「鐘のなる丘」とか、「赤い靴」とか。

 幼いながらにそうした歌に魅せられたものだった。

 


  赤い靴

       作詞 野口雨情

       作曲 本居長世 

  赤い靴はいてた

  女の子

  異人さんに

  つれられて

  行っちゃった


  

  横浜の埠場(はとば)から

  船に乗って

  異人さんに

  つれられて

  行っちゃった


 

  今では青い目に

  なっちゃって

  異人さんの

  お国に

  いるんだろう


  

  青い目を見るたび

  考える

  異人さんに

  逢うたび

  考える

 


 その後、この歌はラジオなどで何度も聞いたことがある。

 

「異人さんにつれられて行っちゃった」

「今では青い目になっちゃって」

「赤い靴見るたび 考える 異人さんを見るたび 考える」

 

 「考える」というところが印象的だった。

 少女歌手の声も清楚で懐かしく感じられとても好きな歌だった。


 書庫の隅から、忘れられていた古いメモが出てきて、見ていたら、もう何十年も前に見たテレビ番組についてのメモが混じっていた。


 赤い靴をはいた女の子は、野口雨情が下宿していた家の近く(?)に住んでいた独身の母親から生まれた、そうだ。


 やがて母親は子供を連れて北海道に渡る。

 「北海道開拓農民」の生活。

 そこで母親はある男と結婚するが、そのとき子供をアメリカ人の牧師の養子として託したそうだ。

 牧師には子供がいなかった。


 母親には新しい子供ができた。


 アメリカ人の牧師は、アメリカに帰ることになった。そのときアメリカへ子供を連れていったはずだという。


 その後母親は生涯、この子供に対して悪いことをしたという思いを抱き続けてきた。
 そのことを彼女は誰にも話せない。
 子供がすこしでも幸せになっていてくれたらと祈るだけ。

 ところで、テレビ取材者は、その後の少女の行く方を追ってアメリカまで足を伸ばした。
 神父夫妻はアメリカの墓地に眠っていたが、子供の墓はなかった、ということだ。

 日本でもう一度調べてみると、その子供は9才(7才?〉で死んでいたことがわかった。肺結核。

 神父がアメリ力へ渡るとき病気の子供を連れていけなくて、孤児院に預けたらしい、ということだった。

 


 
 Word  by  Noguchi Ujo
Music  by  Motoori Nagayo
Translation  by  Tsuruta Kiyoko
   

1.    O' little girl nice on you pretty "Red shoes"
      She has gone far away with a foreigner (American)

2.    From the port of Yokohama, over the waves
      She has gone with him to his home

3.    I wonder, if she is happy and have nice days
      I wonder, if her eyes are blue like foreigner

4.    I remember her when I see pretty "Red shoes"
      I wonder how she is when I meet a forei



イチリットラ〜 ――懐かしいマリつき唄――

 子どもの頃、近所の女の子らが、おもしろい唄を歌いながらマリつきをするのを見ていたものだ。

 今から思うと、当時の女の子たちは、よくあきもせず、来る日も来る日もあんなことを繰り返していたものだ。

 もちろん「楽しくて楽しくて」というところがあったのにちがいない。

 男の子であるわが輩は、マリつきなどやったことはなかった。けれどもいつのまにか自然と唄を覚えて時に口ずさんだりした。

 そうした唄は、不思議なことに、部分的ではあるが、今もなお思い出せる。

 マリつきは、唄に合わせてポンポンポンと片手でリズミカルに地面にゴムボールをついて、ときどき片足をあげてボールを潜らせたり、挙げた足の後ろから手を差し出してボールをついたりする動作を入れる。そして一区切りつくところで、ボールをお尻で受け止めるのだ。(両手でボールを押さえて受け止める。器用といえば器用だが、慣れている子ともにとっては、朝飯前の作業である。)

 第1段階がクリアされると、次に第2段階が始まる。

 唄はだいたい1からはじまって10まで行く。

 たとえば当時定番のようによく使われていたのはこんなふうな唄だった。
   
   1丁目のイ助さん、 イの字がきらいで
   1万1千1兆億の お札(ふだ)をおさめて
   2丁目にあがった


 その次は 「2丁目のニ助さん、二の字がきらいで、2万2千2兆億のお札をおさめて3丁目にあがった」と続く。

 もう一つ記憶に残っている唄はこうだった。
  
    あんたどこの子
    新京 南京
    わたしゃタイの子
    マライの手まり
    ポンと打ってポンと飛んでって 
    日本の桜見に


 この唄に2番以降があったかどうか思い出せない。

 紀州の殿様が出てくる有名な手まり唄、「てんてんてんまりてんてまり、てんてんてまりの手がそれて」
 というのは、当時聞いたことがない。

 もうひとつ、かすか(不明瞭)ながら思い出せる歌がある。

 いちりっとら〜〜ア  らっとりっとせ〜〜  ホウホケキョウの…… 

というところだけ覚えている。

 「ホウホケキョウ」のなんだったっけ? どうしても思い出せない。

 きょうこの記事を書こうと思ったきっかけは、実はこの「いちりっとらア… らっとりっとせ…」

という、まりつきうたを思い出したからだった。

「1リットラー」のあとは、「2りっトラー…」、「3りっトラー…」と続いていく。

 こんな曖昧な記憶でわかるのだろうかと、インターネットで検索すると、案に相違して、けっこう引っかかってきた。

 たとえばこんなサイトにぶつかる。

  《「いちりっとらい」は昔父が教えてくれた曲だ。
   あまりに不思議で意味不明なので、てっきり創作したのかと思っていたが
   伝承唄としてあちこちの地方に残っているらしい
   父の唄はこうだ
   ♪「いちりっとらい とらいとらいとし ちんがらほけきょう で鈴がなる」
   ところが山口のほうだと
   ♪「いちりっとらい らいとらいとせ しんがらほけきょ 梅の花」
   という階段遊びに残っているというし
   東京のあるところでは 
   ♪「いちりっとらいらい らっきょくってしっし しんがらもっちゃきゃっきゃ きゃべつでほい」
   というまりつき唄になるらしい
   「キクとイサム」という今井監督映画のなかでも
   ♪「いちりっとら らっきょくってし しんがらもっちゃきゃ きゃべつでほい」》


 また別のサイトでは…

   《こんな遊び、覚えてますか?
   「♪いちりっとらい、らいとらいとせ 
   しんがらほっけっきょう 夢の国 ♪」
   階段を使った遊びで、
   みんなは階段の一番上に、鬼の子は一番下の段にいて、この歌にあわせて階段を移動し、
   歌が終わったときに、鬼と一緒の段になった人が次の鬼になる、っていうやつ。
   この歌、このあと「にーりっとらい、らいとらいとせ〜」 「さんりっとらい、らいとらいとせ〜」
   と 続いていきます。
   長い間、わたしにとって謎の歌だったんですが、
   もしかしたら、仏教に関係するのかなって最近思うようになりました。
   漢字で書くと
   「一里渡来、来渡、来渡せ、秦から法華経 夢の国」
   ってなりません?
   調べてみたら法華経が本格的に訳されたのは、後秦(中国)の時代だそうです。
   といっても私の勝手な想像ですので、あんまり信用しないように・・・
   ちなみに、これ、職場で聞いてみたけど、
   福岡、大分、熊本の人は誰も聞いたことがないことがわかりました。》


 もともとは「法華経」に関係する唄だったようだ。
 「一里渡来、渡来渡来… 」という原型が浮かんでくるような…

 こうした歌には、案外歴史的な事件などのことを唄ったものが子どもたちの間に流行って残ってきたものがあるようだ。

 たとえば、ごく小さい頃、母親が教えてくれた「せっせっせ」の唄を今なお覚えている。それには西郷隆盛が出てくる。 

   せっせっせ――
   1かけ、2かけ、3かけて、
   4かけて、5かけて、6かけて、
   橋の欄干腰掛けて、
   はるか向こうを眺むれば、

   十七八の姉さんが、
   花と線香(センコ)を手に持って、
   姉さん姉さん、どこ行くの、
   わたしゃ九州鹿児島で、
   お墓参りに参ります(この部分の記憶曖昧、ツジツマあわせに勝手に作ったのかも知れない)

   お墓の前で手を合わせ、
   ナンマイダアブツナンマイダ…》


  (なぜ「6」から「8」(橋)へ飛んだのか昔から疑問だった。)

 記憶の中の歌詞に直接西郷隆盛は出てこないが、インターネットで調べると、これは西郷隆盛が西南戦争で割腹自殺して、その墓に若い娘がお参りするという話で、いろいろ変種があるものの、古いある時代に非常に流行した歌だったことがうかがわれる。



病院訪問、複雑な状況、弟の病状は…

(7年くらい前の日記から)

 昨日、病院の医師から、病状を聞く。もう長いことはないという。治療しても効果があがらないどころか、数値が余計に悪くなっていく。今は治療の手だてもないので、痛みを抑えながら、様子をみるしかない。云々…云々…

 

 弟の宏喜は全身あちこちに痛みを感じながら、日々をベッドで過ごしている。歩くことは出来るが、歩くと痛むのだという。宏喜の顔、相貌がいつもとはちがって、きれいに、ある意味、崇高に見えた。口の髭をそっていなかった。

 気の滅入るところだ。もちろん、宏喜が可哀想である。

 

 ぼく自身の精神にとっても、一つの危機だと感じられる。つまり魂がどうしようもなくメゲルのである。それに抗して前を向いていく心の姿勢を保たなければ、潰れてしまうと感じる。

 
 
昨日横浜へ行く途中の新幹線の中で読もうと、アンリ・バルビュスの『地獄』(岩波文庫)を持っていった。昨日から少しだけ読み始めていた。最初の方で、今の自分にはあまりおもしろくなさそうだ、読むのを止めようか、と何度も思いながら読んでいたところだが、今日新幹線の中でほぼ半分近くまで読んだ。

 たしかに素晴らしい才能だ。けれども自分が求めるのは、プルーストのようなものであって、こういう作品ではない。恐ろしい容赦のない絶望がここには立ちこめていて、人は孤独だ、決して孤独から抜け出ることはない、人は死に向かって進むだけだ、すべてがそれに帰する、人間が経験するどんな喜びも最終的にそこへ向かっていく限りは無意味である、ということを、豊かで素晴らしい表現力で、これでもか、これでもかと繰り返す。何とも苦しい気持ちにならせる作品世界だ。救いがまったくない思いにならせるのである。びっしり書き込まれているせいもあるのか、いや、それよりも暗くたれ込めて、まったく救いのない文章なので、読んでいるととても苦しい。

 バルビュスを半分ほどで中断して、横浜へ着いたころから、もう一冊持っていた本を出して読んだ。それは鷲田小弥太著『パソコンで考える技術』 
 これはずっと以前一度読んだことのある本で、これは非常に面白いし、軽く読める。帰りもずっと読み耽って、ついに一冊読み終えた。

 
 
朝、九時過ぎに家を出て、横浜の病院へ。
 
夜十一時半ころ家に帰ってきた。
 
心に重すぎる陰があって、どうしようもない。何とかそれを乗り切るしかない。たしかに人生は陰に満ちている。暗いことや死や破滅や泥沼が至るところにある。そういう災難、惨めさは、いつでも人の暮らしの中へ侵入してくる可能性がある。そういうことを感じるとき、人生の惨めさの感覚が生じて、気が滅入り、くじける思いになる。そういう至る所で惨めさに隣り合わせている暮らし中にあって、バルビュスのように、救いのない絶望、虚無の心ではなく、生きることの喜びへと手をさしのべる心の必要があると感じた。絶望、虚無に蝕まれる生き方は、悲惨のなかで悲惨のまま終わってしまう。悲惨は悲惨、人生は悲惨に満ちている。それは抗いようのない事実だろう。けれども、そういう中にあって、自分や周囲の悲惨を現に目にしながらも、生きていられる限りは、絶望の方向ではなく、希望の方向に目を向けていることが重要なのではないか。通常、みな人はそうしているのではないだろうか。

 

横浜の病院から電話がかかってきた

 この素材は面白いし、いい作品になりうる、という気がする。
 問題はそのままの形で出すのはまずい、ということ。
 個人的なことを知人たちに知られたくない、というような心の奇妙な事情がある。
 文学作品はフィクションなのであって、まったくの作り事だと思わせたいのである。
 そこでそれを分からない形に変形しようとする。
 何かを書けば、たとえまったきフィクションであっても「個人の体験」だととられがちなことは経験からよくわかっている。


 2月12日
 ようやく会計検査も終わり、後は占用更新の作業を片づけて、その他もろもろ非常に多忙ではあるが、そう困難な問題もなく、任務を全うして次の担当に引き継ぐだけという思いでいたところ、またまた新しい調査ものが入って、それも日数に余裕がない。
 左腕の深刻な痛みがいっこうによくならないところ、これからまだ3月終わりまで片づけなければならないことがいっぱいある。ようやくそれに向かって集中しようと思っていたところ。
 痛みはそれ自体だけならそれほど深刻ではないのかもしれないが、それが生じる原因、それが進展していく先の事態を考えると、深刻にならざるをえない気がしている…


2月22日
 課題(フィクション化するにはどういう設定がいいか?)

 先々週木曜日だったか、横浜の病院から電話がかかってきた。病院の看護師(婦)さんからで、担当の医師が一度会って弟(昭彦)の病気の情況などを話しておきたいので、来ていただけませんか、ということだった。

 ちょうどその翌週月曜日が提出期限となっている本社からの調査もの(国の調査)があって、今はとても手が離せない。金曜日までには何とか片づけられるだろうから、土曜日ならかろうじて行けるかもしれない。ただそれではきつい。そんなことを考えて、「できることなら火曜日にしてほしい」と答えると、看護師(婦)さんは、担当の医師に聞いてみますとのこと。

 調査ものはほぼ金曜日には完了して本社に報告できる見込みがあった。もしできなくても、土、日出勤すれば、月曜日にはできるだろう。
 医師に聞いた結果の返事の電話がまた来るかもしれないので気になっていたが、調査に関係して現地を見にいく必要があったので、漁港へ出かけた。

 その翌日(金曜日)の朝、横浜のマルバツ病院の看護師(婦)から再び電話。先生に聞いた結果、「すぐにでも来て欲しいということです」
 前日の話では「病気と治療の状況を話しておきたい」ということだった。
 それだけでも重大なことかもしれないという気はしたが、当方は、今日、明日のことではないのだろうと思っていた。

 今回の電話ではもっと早く来られないかということらしい。事態はそんなのんびりしたものではなく、思いのほか切迫しているという印象の話である。
 当方は、それでは… と思案しながら、調査物の処理は、土、日出勤すれば何とかできるだろうと踏んだ。
「今日行きます」と答えた。
「何時ころにこられますか」 と看護師(婦)さん。「もし急な事態になったら連絡する携帯電話連絡先はないのですか」
「夕方5時半頃。携帯電話はありません」
 もう少し早く着くだろうという目算はあった。

 これはいよいよ危ないのか、と思うと弟(明彦)が可愛そうでもあり、この土、日に仕事をするどころではなくなるという思いが交錯した。報告ものを仕上げて送り届けないと本社の西野君が困るだろう。月曜日の期限に間に合わすには、この土、日どちらかに出勤しないとまずいだろう、という思いが繰り返しきた。

 すぐに家に帰り、横浜へ出かける準備をする。
 準備といってもただ服装だけだが、高校生の娘に「横浜へ行くからお母さんに伝えて」と何度か念を押した。それからわが末の弟の伸二の携帯電話に連絡した。伸二は今日は仕事を休んで町へ出てきている、これから病院へ行く予定だったという。
 すぐに伸二はわが家に来た。少し話をする。
 こちらはすぐ出かけるが、後からゆっくり横浜へ来るように言って別れる。伸二も動転している様子。
 ちょうどバスがくる時間だったので、すぐ高速バスの停留所までいった。しかし、時計を忘れてきたことに気づく。取りに帰れば次のバスになり1時間遅れる。しかし、5時までには着くだろう。迷ったが、取りに帰ることにした。看護婦の話ではもう危ないという感じだったから、もし明彦が亡くなったら、不案内な横浜で、しかも役所が閉まっている日曜日のこと、どうしようか、と繰り返しあれこれ考えた。

 舞子で高速バスを降りて、JRに乗り換え、新大阪まで。
 退職を迎えて自由を愉しもうと思っていたところ、自身重大な病気に懸かっていることが発見され、左手の痛みがずっとある。そのうえに弟がこんなことになってどうしようもない。ひたすら耐えるしかない思いだった。…

 新大阪から新幹線に乗った。車中ずっと本を読んでいた。先に博多へ出張したときに買った古代史の本『天皇と日本の起源−「飛鳥の大王」の謎を解く』(遠山美都男著)
 先に古代史関係の本を2冊読んだ後だったので、博多駅構内の本屋で目にして買ったものだ。それなりに興味深く読める。先日博多へは、以前から読みかけていた文庫本、ジェイン・オースティンの『説き伏せられて』(岩波文庫)をもっていって、旅中に読み終えた。オースティンはやはり非常に愉しく面白く読めた。この作者のものをもっと読みたい思いを感じた。博多の天神駅まで夕食を取りに行ったとき、ジュンク堂書店…
(今は3月2日、日記をつけるのさえもなかなか思うにまかせない。本質的な失語症的な状態のせいだ。)

 


人を殴り殺す夢

 非常に印象的な夢を見た。

 いきさつの部分はまったく思い出せないが、人を殴り殺す夢である。
 足や手や身体を何度も何度も殴って、撲殺する。
 はっきりしないが、相手はやせ気味の人だったという記憶がある。
 詳細がまったく思い出せないので、書くのがもどかしいが、後で、いろいろ思い悩んでいるような場面があった。

 そのとき突然思い出すのだ。何年か前にも同じように人を撲殺したことがあった。あのときの相手は大柄の人だったことが思い浮かぶ。その少し前にも一人やっている…
 
 今回のことで必ず警察の調べを受けるだろうし、そのときあっさりと容疑を認めてしまうだろう。隠し通せるものではないから。

 そんなことを思ううちに、突然、これはとてもまずいということに気づく。数年前の2件も今回とまったく同じ手口の殺害であり、当然そちらにも嫌疑がかかってくるにちがいない。3件の凶悪な殺害事件が発覚する。これは困ったひどいことになる。極刑は逃れられない…

 そう思ったときに、眼が覚めた。

 一瞬間をおいてから、今のが夢であったことにきづいた。

 現実の自分が行ったことではなかったことを認識して、非常な安堵を覚えた。

妻が彼に愛想をつかして家を出ていく

(創作の材料、或いは原料) 

 そのころZ氏は、まだ四十才になっていませんでしたが、ここでは語らないある事情のため、妻との関係が悪化して、妻が彼に愛想をつかして家を出ていくという形で一時的に妻や子どもと別居していました。

 彼自身は、妻や子供を愛していましたし、別居するほどの理由を何も見出さなかったのですが、妻が彼に大きな不満を感じていたということは、一つの紛れもない〈事実〉として認めなければなりませんでした。
 別居生活は、惨めさの感覚とともに、正直のところZ氏に気楽さの感覚を与えました。炊事、洗濯のことは、彼には大して苦にはなりませんでした。
  Z氏は、毎晩真夜中になると、ビールを飲むようになりました。
 アルコールには、もともと強くない彼のことで、少しのビールが彼を酔いの世界へ誘い込むのでした。
 Z氏は酔っぱらっては真夜中にひとり妻のことを思い、自分の愚かさのことを笑い、ときとしてヒヒヒ・・・と奇妙な声を上げたり、ポロポロと涙を流したりしていましたが、実はそのことに彼にはこのうえない慰めと喜びを感じていたのです。彼は、自分がおちいったどんな境遇にも興味深いものを見出し、妻に捨てられるような経験をさえ楽しんでしまう奇妙な能力をもっていました。彼は極めてお人よしだったものですから、妻への怒りや恨みといったものは、不思議と感じないのでした。というのも、別居生活は一時的なもので、妻は帰ってくるにちがいないという思いがあったからです。ただ、万一妻が他に男をつくったりして再婚するなどといいだしたら・・・と想像すると、彼は恐ろしい苦しみを感じて、気狂いのようになりました。もしそういわれたら、彼は妻のいうとおりに離婚届けに印を押すにちがいない。しかし・・・と、そんなことを思うのでした。そう思いだすと、今もうすでに妻は誰かいい男と仲良くなりつつあるのではないかという気がしてきて、彼はもう恐ろしい苦悶にとらえられ、今からでもすぐに妻のところへ行って、家に戻ってもとのように暮らすよう頼みに行こうと思うのでした。妻が他の男と再婚する夢を見ました。彼はさりげなく寛大に妻をその男に譲りました。ところがあとで妻に出会い、彼は恐ろしい後悔にとらえられたのです・・・彼女はもう彼の妻ではない・・・もう人のものになってしまった・・・もう取り返しがつかない・・・そんな恐ろしい憂悶のうちに彼は夢から覚めたのでした・・・
 
  再婚などということには、彼はまるで興味を感じませんでした。結婚生活は彼に多大の不自由と犠牲を強いるものですから、他の女性といっしょに暮らすなどとは、考えるだけでも、気のすすまないことのような気がしました。
 そんなある夜のことでした。(彼はたいてい二時か三時ころまで起きていました。)Z氏は一仕事終えて、さてこよなく甘いビールを飲み始めました。ビールがちょっとまわってきたころ、Z氏はふっと後ろに人の気配を感じたのです。見ると、一人の見知らぬ男がそこに立っているではありませんか。男は何の前ぶれももなく、いつのまにかこっそりと影のように忍びこんでいたのでした。いや、本当に影、正真正銘の単なる影だったのかもしれません。ただ、その時のZ氏には間違いなくそれが実在の存在であるとしか感じられませんでした。男は、黒っぽい服装をしており、冴えない地味な感じの顔立ちで、ひどく控え目に微笑みました。しかし、Z氏は不吉な予感に襲われたのです。Z氏には、どうしてだかこの男を以前からよく知っているような気がしていました。
 Z氏は男の顔を見つめました。男はただ考えこんだような控え目な無表情の顔で、そこにじっと立っているのです。
 

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