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  • 2015.07.11 Saturday
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たくさん読むより1冊をじっくり読む

 たくさん読むより1冊をじっくり読む

 読むべき本が沢山あるからといって、全部読もうと思うな。

 これはと思われる本に出逢ったら、その1冊をじっくり読んで、そこから得るものを得ることが肝心。

 必ずしも本を全体として理解する必要はなく、

 本の中に、「自分にとって利用できる箇所」を発見して、じっくりと読む。


 問題は、それに触れることによって自分の中に生じてくるものを刈りとることだ。


自分のパソコンへ帰る

 要するに、ブログはブログ。
 創作のための材料を並べて、それを料理するのに適した場所とはいえない。
 ということに気づく。

 ブログでは、大量に掲上されたデータを一覧的に見て、その中からどれかを選択して内容をみる、これとこれを組み合わせたらいいかもしれない、といった作業に向かない。(当然のことながら)

 ネット上のファイル保管サービスというのも、無料のものからあるようだが、これはファイルをパソコン内に保管するのと同じ感じで、ネット上に保管するもの。パソコン内に保管したのと変わらない。

 方法のことであれこれ模索するのは、要するに、何か便利で楽なやり方はないだろうか、という怠け心からきている。

 つまり直接創作と向き合う困難から逃げて、奇跡的にスラスラと仕事が捗っていくようないい方法がないか、と模索しているものである。

 ものを創ることに直面して感じる困難(不可能)性、を打開してくれる安易な方策を求める心から来る。
 信じられないほどうまくすらすらといく方法があるのではないか?
 しかし、そういう方法は見つからない。たとえ見つかったとしても本質的には同じなのだ。自分と向き合って、呻吟しながら新しいものを生み出していくという作業は避けて通れないのだ。

 ほかに便利な場所を求めたものの、結果的には、もともとの自分の場所に帰ってくることになる。
 ネット上ではなく自分のパソコンの中に場所を設けるのが一番いい、という結論になる。

 そこで思いあたるのは、古い自分のパソコンの中のファイル。

 たとえばStoryEditor(フリー)とか、アイデアツリーとか、カシス(Kasis)ノートブックとか、ツリー式のソフト(アウトラインプロセッサー)がいろいろあるが、あれのほうが向いている。

 左側に文書の見出し(表題)が一覧表示される。
 一覧の中からどれか選ぶと右側にその内容が表示される。
 文書間の入れ替えは自在に出来る。階層構造で管理することも出来る。

 あれを昔使っていたのに、いつのまにどうして忘れてしまっていたのだろうか。

 どんなに便利な道具を使うにしても(たしかに便利な道具はいろいろある)、そんなにスラスラと安易に仕事ができるものではない、ということだ。

 素朴そのものの方法でやっても、便利と思われる方法でやっても、同じような困難が待ち受けていて、それを避けて通ることはできない。

 「自分から逃げない」で、「自分のパソコンの中のストーリーエディターへ帰れ」ということ。

 かつてそこで困難を感じて行き詰まったから、外部へ救いを求めたのだろうけれども、外部へ逃れても救いは訪れない。

 自分から逃れて外部に救いを求めても、何も生まれない。

 結局のところ、「自分に帰って、自分に向き合う」という最初の地点にもどることになる。

「楽しいことをメモする」と人生はどんどんよくなる」(斉藤茂太著)

 今日は一つの試みで、読んだ本の中から(自分自身のなかから出たのではなく)、面白いと思った文章を引用してみる。

(数年前の日記から)
 スーパーマーケットに行った帰りに、すぐ近くの図書館へ寄ったが、ちょうど休館日だった。そこで喫茶店に入ろうと考えた。本をもっていなかったので、二階の本屋によって、一冊買った。

 『楽しいことをメモする」と人生はどんどんよくなる』(斉藤茂太著、青春出版社)
 題名から面白そうで、またスピードを出して軽く読めそうな予感がしたので、これは買いだと決めてしまった。

 またまた、懲りもせずHowToものを買ってしまった。

 スーパーで焼酎など買いものをして、車にもどって少し読んでみると、とても面白い。それで、喫茶店にはいった。
 ところが混んでいて、四人用席しか空いていない。いつもは二人用席に座るのだ。
 そこで読みはじめたが、次々客が来る様子なので、ゆっくりするわけにもいかず、五分足らずで出てきた。
 帰りに××電機職員用の駐車場に車を止めて、続きを読んだ。
 著者の斉藤茂太は、精神科医だという。
 中年の若い人かと思って読んでいたが、そのうちに斎藤茂吉の長男で、この本を書いたとき、八十八才ということがわかった。
 とにかく「メモ魔」である。日常気がついた細々したこと、興味をひかれたことを何でもメモにして残す習癖があって、これは「親譲り」だということだ。
 旅行に行くと、メモりまくって手帳一冊を書きつぶす。
 そうしたメモぶりが読者である私にとって非常に刺激になるのを感じた。
 自分もやってみようかという気にならせたのだ。
 とくにこの本の最初の方の「日常的な細々したことをメモして残す」と書いているところが、心豊かで、生き生きしていて、鮮やかで、新鮮に感じられた。
 メモを書くために毎日を追いまくられているような印象もあって、とても真似は出来ないという気もしたが、奇妙に説得力があるのだ。

 何よりも特徴的なのは、通常、この種の本は、何かのための方法としてメモをすすめるものであるが、ここでは、「メモそのものが豊かな楽しみ、精神の喜びを湧き出させる」ということである。

 《私はメモ魔かもしれません。毎日どこに行っても、ご飯を食べるようにごく自然にメモをとります。メモをとるのが習慣化して少しも苦痛ではありません。
 この本を作るため編集者の方たちが三人自宅に来て私の手帳やメモを撮影したり、覗き込んだりしては、皆一様に驚いていました。
 というのも、手帳にびつしりと細かな字で書き込んであるその几帳面さ加減に驚き、その量にも「え−つ、一回の旅行で一冊手帳を使いきってしまうのですか?」などと声を上げていました。
 旅行に行けば、旅行先の風景はもちろん、人との出会いから乗り物やおいしい食べ物など、なんでもメモをとります。その結果、楽しさが記憶として定着するのです。》
《人間、一人ひとりの人生は違っています。似ているように見えても、まったく同じ人生などありません。当たり前といえば当たり前のことですが、私はそれをメモすることで実感しています。小さなメモひとつで一つひとつの人生の違いがわかり、その面白さや楽しさがわかるのです。
 自分のふだんの生活も、よく観察すると、いろいろな変化に満ちています。
 毎日の生活でも、朝、決まった時間に起き、いつもの朝食を食べ、同じ電車に乗り、いつも通りの仕事をし、いつものように帰る、そんななかに、必ず以前とは違っていることがあるはずです。
 人生に、まったく「同じ一日」などないからです。少なくとも、「昨日の自分と今日の自分」は違っています。まず、一日ぶん「年」をとっているし、体調も気分も、考えていることも、少しずつ違うはずです。
 その一週間が実にさまざまな変化に富んでいたことがわかります。
 そう考えてみると、その日にやろうとしていることも少しずつ違うだろうし、来週やろうと考えていることも違います。毎日会う人たちも、一人ひとり、毎日変化しています。
 水も空気も太陽も、道も電車もテレビのニュースも、日々変化しているのです。
 私は、そんな変化をどんどんメモしていきます。メモをすると、その日が前の日とは違うことが一目でわかります。メモによって前の日と違うことに気づくとワクワクしてきます。当たり前だったはずの日常のなかでの変化が楽しく思えてくるのです。
 まず、天気が違う、気温が違う、自分の体重も変化します。けっして、まったく同じことなどないのです。一週間メモをすれば、その一週間が実にさまざまな変化に富んでいたことがわかります。
 いつもと同じような一週間を過ごしたと思っていても、メモを見返すと、毎日毎日がいろいろな変化に満ちていたことがわかるのです。
 こうして、ちょっとしたことをメモしてみるだけで、「人生の面白さ」が少し見えてきます。》

 この本の面白さは、これにつきる。

カフカの『城』 「思う存分」…自分の中から書き始めること

カフカの『城』を生涯に何度目になるだろうか、読み返すことになった。
 
 話は、測量技師「K」が「城のある村」へ着いたところから、始まる。
 
 全体として非常に謎だらけの話であるが、語り口は極めて現実的、実際的。

 最初の部分が記憶にとくに残っているものの、読みすすめるうちに、この作品の圧巻は、そこにはない。そのあとKの周辺に実にいろんな人物が登場して、多弁な会話やいろんなできごとが記されていく。

 その会話やできごとのなかに、人間の存在についての事細かで微妙な考えや思いが延々と饒舌に描術されていく。
 この本の魅力はそこにあるのだ。
 
 読みながら難解でよく分からない点が多々あって、ひどく謎めいているが、いずれにしても、作者自身の身体と精神から思い浮かんでくる限りのことを、思う存分に書いているという印象がある。

 それが読む人の理解を得られるか、興味を刺激するに適しているかどうか、といったことはまったく無視した形で、作者の思いのままに、気ままに存分に展開されていくのである。

 文学作品を書く上での、きわめて本質的な心得のようなものがここにあるのかもしれない。

 思いきり存分に、思うところをを思いのままに、そのままに吐き出していく。

 最近小島信夫の本を生涯ではじめて読んだ。最晩年に書いた『残光』
 この本も常識を外れて途方もない。過去に書いた個人的な書物のことや最近に身近に起こったこと、それらについての経緯や思いつくことをあれこれ延々と語っていくのだ。
 おいおい、何を語っているのだ。そんなことをくだくだと話しても、読者にとって何の意味があるのだ、いいかげんにしてくれよ、とてもつきあっていられない,といいたくなる。
 しかし、それを読んでいくと何かしらないが、とてもおもしろい。そんな後味が残る。

 カフカの『城』も、登場人物の会話などのなかで、こんなに饒舌に語りながら、いったい何を言おうとしているのか、非常に分かるような気がするし、分からない気もする。何が正確な真意なのか、ある意味理解不能の謎めいた饒舌が、延々と繰り広げられていく。
 しまいにはまだ続くのか、いつまで続いていくのか、という思いにもなる。

 つまりこんなふうに読者に分かるかどうかではなく、自分の中からでてくるものを思いきり存分に延々と語る、そういう方法が可能なのだという勇気を与えてくれるような気がする。


人が1日にできることは驚くほどわずか

 「人が1日にできることは驚くほどわずか」である。

 「いかにわずかであるか」ということを底まで自覚して、1日の時間を使わなければならない。

 手帳に1日の行動を記すのは、毎日「貴重な時間」をどのように「使わないで」すぎているかを目に見える形で自覚するためだ。

 今日の手帳から転記するとこうである。

《○月○日
 10時10分 目が覚める。(いつもはもっと早く目が覚めて起きる。)
 11時20分 ようやく起きる。(どうも体調がよくない。)
      うどんを食べる。食事を抑える。(胃が悪いようだ。)
      韓国ドラマを見る。
 12時40分 ビデオ機械不調の調整など
 14時00分 読書  カフカ「城」
 15時30  空腹で少し苦痛。ご飯、納豆、卵食べる。
 15時40分 買い物に出る。(夕食の準備、銀行など)
 17時30分 夕食準備、夕食(バラ寿司、コマツナ、キュウリなど)
      部屋片づけ、紙類を燃やす。散歩。
 21時00分 TVニュース、並行してカフカ読む。入浴。
 23時40分 PCに向かう(家計簿、日記など)
 00時30分 書くことに向かう(当面は材料などをブログに掲上する作業)》
 
 このように記していくと、毎日、時間をできるだけ読書や創作のために使おうと思いながら、「自分にとってもっとも重要と思っていること」に使う時間が「いかに少ないか」がわかる。

 これではとてもダメだ。鋭意時間を捻出しなければならない。

 「1日の時間がどのように使われて過ぎていくか」を明らかに目に見て、「日々がそのようにのみ過ぎていい」と思うのでなければ、どこで創作や読書のための時間を捻出したらいいのかがわかるようになるだろう。  

文章で書けること、書けないこと

 ずっと昔に読んで本棚に眠っていて、今日たまたま目に付いた本。

    『「私」のいる文章』(森本哲郎著、新潮文庫)

 そのなかに面白い文章があった。

 昔、著者は記事を書くために相撲とりにインタビューし、相手からひと言も得られずに、記事を書くのを断念したことがあった。
 そのことを思いだしながら、書いている。

《なにも会話だけに頼らずに、会ったときの印象をそのまま書けばいいではないか――というのは、たやすい。だが、それはまた至難のことなのである。うそだと思ったら、こころみに友人についての印象を文章にまとめてみたまえ。
 フランスの数学者アダマールは、こういっている。
「きみは友人を群衆のなかで見つけることがあるだろう。そのとき、きみはその友人の顔の何百という特徴を見分け、それによってその友人を他の人たちから区別しているわけである。ところが、さて、その特徴を文章に書いてみろといわれたら、おそらくきみは、そのうちのたったひとつの特徴でさえ、思うように書くことはできないだろう」》


 この部分のページは折りこんであった。最初に読んだときにも、強く思うことがあったのだ。若い頃は、修練をつめば文章でどんなことでも書けるはずと思った。
 しかし、文章では何も書けない、というのが本当のところだ、と思わざるをえない。

 人の顔の個々の特徴や、目の前の光景は、文章では表現できない。表現するとまったく別のものになってしまう。
 写真や映像にすると、かなりの特徴をあらわすことが出来る。
 しかし、文章によっては漠然としたものしか表せない。

 他方、映像を見ただけではわからないもの、文章でしか表せないものがある。

 文章は物や人が我々に与える諸々の印象のなかから、その特徴的なものを言葉で抽出して示す。
 それがわれわれにあたえる印象、意味、感情などを、選択的に表現する。

 対象から得られる我々の「認識」が文章の形で提示される。

 言葉でなければ表現できないものがそこにある、のは確かだ。

 たとえば、上に引いたフランスの数学者の言葉がそうである。これは映像では表現できない。

 言葉が表現するのは、対象そのままの固有の印象ではない。(顔の印象そのものは、いくら言葉をつくしても言葉では表現できない。)

 そこから抽出される一定の真実(普遍性)のようなもの……、なのだろうか?
 

大江健三郎『水死』―ー私小説を突き抜ける―ー

 大江健三郎が書きおろし新作『水死』を出したと毎日新聞の文芸時評欄。
 早大教授・ドイツ文学の松永美穂氏の推薦(私のおすすめの3冊のうち)。

《もう何年も前から「最後の作品」を意識しつつ創作をしている大江健三郎の、書き下ろしの新作が出た。四国の森を舞台に、作家自身を思わせる一人称の語り手を立て、自らの過去の作品をも引き合いに出しながら、敗戦の直前に起こった父の「水死」事件をめぐってストーリーが展開する。家族を出発点に、人生の分岐点となったできごとをあらためて語り直そうとする姿勢…(中略)… 作家の個人史が、森に伝わる一揆の伝説と結びつき、一方で父の死の原因となる「王殺し」の計画につながっていく点に自在さを感じる。時代精神と土地の精神がせめぎ合うなかでの個人の反骨が、屈折した形ではあれ鋭く示されている。》

 もう一人野崎歓氏(東大准教授・フランス文学)も、同じ作品をあげている。

《大江健三郎は近年、「私小説」的設定を繰り返しつつ、実はその枠を果敢に突き破る実験を重ねてきた。最新の驚くべき達成が『水死』である。かねて予告されていた、父の死をめぐる物語は一つの要素にすぎない。そう思えるほど多様な素材を含み、意外な展開を示す。実に破天荒な面白さだ。》

「水死」を読もうとはいまのところ思わないが、興味を感じた点がある。

「私小説」的設定を繰り返しつつ、実はその枠を果敢に突き破る実験を重ねてきた」

という点だ。

「私小説」的な出発点、そして「それを果敢に突き破る実験」
 そうだ。今自分がやるべきなのはこれではないか。


 もう一つ。先日買った『Aあたりまえのことを Bバカになって Cちゃんとやる』という本(小宮一慶著、サンマーク出版)のこと。

 これは経営コンサルタントの小宮一慶さんが出したものだが、なかなか示唆に富んだいい本だ。そのなかの文章で、

《手を動かさないかぎり、物事は何も動かないし、変わらない。》
《机の上をふくと、おもしろいことが分かります。半分きれいにすると、残り半分の汚れがものすごくよく分かるのです。そこを全部きれいにすると、今度は机の表面の汚れやべとつきに気づきます。》

 手を動かすといろいろ思ってもいなかったことに気づく。「気づきが深く」なる。
 頭であれこれ考えているうちは、なかなかはじめられない。しかし、思いきってやってみると、思わぬ展開がはじまる。

《そのとき感じたのは、実際に手を動かしてみれば、怖いものは何もないということです。頭であれこれ理屈を考えていただけでは、怖くて一歩が踏み出せません。でも、手を突っ込んでみれば、何も怖くない。手を動かすことで、目の前の課題はどんどん動いていくことが実感できたのです。》
《「やってどうなる?」と考えるのではなく、まず手を動かし、やってみる。バカになって、無心にやっているうちに、見えてくる世界があるのです。》

 要するに、あれこれと考えずに、まず「手を動かす」こと。
 果敢に思い切って「書くこと」の中に飛び込むこと。
 
 手を動かさずに、あれかこれかと考えるこの不毛性。思い切って、実際に、手を動かしてみることのもたらす効果の豊饒性。


『プルースト/写真』から  (プラッサイ著、上田睦子訳、2001年)

  先日、市立図書館で、『プルースト/写真』という本を見かけました。
 プルーストに関係する写真を載せた本だろうかと軽く思いながら、ページをめくってみました。二、三興味深い言葉が目に入ってきました。文章もそう重くなく、軽く読めそうだと感じましたので、借りて帰りました。

 〈ブラッサイ著、上田睦子訳、二〇〇一年三月発行〉となっていますが、著者も訳者も私には未知。
(説明によるとブラッサイは写真家。ピカソ、ヘンリ・ミラーなどとも親交をもったらしい。)
 
 「心理的な小説」を書くことを目標と考えていて、もともとプルーストに少なからぬ興味を寄せている自分ですから、刺激になることが多々ありました。

 プルーストの文学作品が生まれてくるにあたって、〈写真〉がいかに重要な意味合いをもっていたか、といったことについて、認識を新たにするほどの新事実を目にした思いです。

 プルーストの時代には、写真は、写真屋へ行って、「普段着ないようなよそ行きの衣装をして撮影してもらう」ものでした。ポーズを取って画家に肖像画を描いてもらうのと同じような意味あいがあったのでしょう。

 内容や感想を書くのはやっかいで面倒な作業なので、主に本文からの引用によって、自分の感じたことを記したいと思います。
 
 まずは、プルーストという二〇世紀の世界文学に大きな影響を与えた作家が、子供じみているほど〈写真〉に目がなかったという事実から話ははじまります。

◆プルーストは友人・知人に自ら収集したアルバムを見せたがったといいます。

《友人たちはプルーストを訪問したが最後、際限もなく写真を見る羽目になった。》
 《プルーストは生涯を通じて、写真を所有することに異常な重要性を見出していた。部屋には膨大なコレクションがあって、友人が来るとそれを見せていた。》
(アンドレ・モーロワ)

◆プルーストは、いろんな知人からその人の写真を所望するという驚くべき習癖をもっていました。
《写真に対するプルーストの情熱は、ポートレートをなかなかくれようとしない人からなんとかそれを手に入れょうとする執念となる。貰えないとなると待ったなしで攻撃を繰り返す。アルマン・ド・ギシュ公爵への手紙で、「公爵様のお写真のことでございますが、お約束にもかかわらずまだいただけないとはいかがなことかと存じます」。写真を貰うと、公爵は世界中でいちばんいい人になる。「変わらぬご厚情、いつも感謝しております。もの覚えの悪い者の記憶をしっかりさせるための大変貴重な、またモデルである公爵様を彷彿させるすばらいい写真でございました。」》

《ある夜会でモンテスキユー伯爵に紹介されると、すぐいつものやりかたで、自分の写真をさしあげるから伯爵のをいただきたいと申し出た。慎重でなかなか人を信用しないモンテスキユーはこれをぶしつけに思い、断った。プルーストは「私は伯爵のお写真を一日千秋の思いで待っております」と手紙でねばる。伯爵がなおも言を左右にしているとプルーストは決断を迫って言ったものである。「伯爵のご友人のルメール夫人とワグラム王女のお二人が、今週、私をご招待くださいました。恐れいりますが木曜か土曜日、お約束にもかかわらずまだいただいていないお写真をモンソー通りかアルマ大通りまでお持ちくださいませんでしょうか。」》
 
◆写真が作家のインスピレーションを育てる(女性との写真交換熱)

《(プルーストは)出会いのたびに、思いを寄せるたびに(その相手と)写真交換をしようとする。一八八八年の夏、まだ一七歳のプルーストは若くて可愛いレオニ・クロメニルというウィーン生まれの女性が好きになった。ブーローニュの森のアカシアの道を馬車で通るところや散歩する姿を見ていたのだが、ついに思いを打ち明ける手紙を書く。返事をくれたので早速自分の写真を送りあなたの写真が欲しいと頼む。レオニから釆た写真数枚をプルーストは生涯大切にしていた。そしてここでも写真が作家のインスピレーションを育てている。》

《一八九三年、プルーストは、しばらくの間、同い年のジェルメーヌ・ジロドーに思いを寄せていた。何週間か口説きつづけ、無論のこと自分の写真を送ったがジェルメーヌからの写真は来なかった。さんざんねばって諦めかけていたときに写真が届いた。「ジェルメーヌ様、ご親切に、そしてそのご親切もとても魅力的で気がきいていらっしゃいますね。……」》

 等々……

《こうした写真交換を、そのときどきの恋の名残と考えてはならない。永い年月をかけてプルーストは写真のゆるぎない宝庫を作り上げた。これはまことに驚くべき宝庫であり、この貯蔵所から汲み上げたモデルを組み合わせて登場人物が生み出されていったのである。》

 プルーストといえば、詳細克明で長々しい文体、読むのがひどく困難な文章を書く作家で、大作『失われた時を求めて』の日本語訳は、古くから文庫本(新潮文庫)で出ていました。私は若い頃、この作品を読み始めて、二冊か三冊ほど読んで中断してしまいました。興味はあったのですが、文体が非常に込み入って複雑であるために、読み続ける根気を失ってしまったのでした。
 ただ、『スワンの恋』はわからないなりにとてもいいと感じた記憶があります。

 その後、十数年前に、〈ちくま文庫〉で同じ作品が井上究一郎個人全訳として出たとき、少しは読みやすくなっただろうかと思い、手に入れて読み始めました。
 何しろ大部の作品です。分厚い本で10冊もあります。読むのに根気と努力がいる文体は変わらりませんが、年を食ったせいもあるのか、それなりに読んでいける。読めばそのすばらしさがわかるのです。すべての部分がというわけではありませんが、自分にとってこれはいい、とても深くて素晴らしいと思われる部分が沢山あります。
 といいながら、途中何度も長期中断をしながら、目下、第七冊目までようやく読み、第八冊目の途中でまた中断したまま、もう半年以上になるでしょうか。そのうちまた読み続けるだろうことはたしかです。

 小説あるいは文学というジャンルの作品を書く上で、プルーストは一つの大きな可能性を示してくれている、書くに値する文章を書くことへの大きな希望を与えてくれるという気がするのです。

スローモーションでフィルムを回すように、言葉によって体験を定着させる

『書く力』(斎藤孝)に面白い言葉があった。

《「書く」ことの基本的な機能は、体験の意味、経験の意味をあきらかにすることである。体験の意味や経験の意味をあきらかにするために、スローモーションでフィルムを回すように、言葉によって体験を定着させるのである。》

書き言葉はその定着力に特徴がある。体験は、そのままにして放っておけば、流れ去ってしまう。それを言葉にすることによって、後で読み返せる形にして、そのときの心の状態をつかみとることができるようにするのだ。
 話された言葉がその瞬間に消えていくのに対して、書かれた言葉は定着し、時間を超えて残る。それが書き言葉の威力である。文字の永遠性を活用して、不安定なものをその都度確定していき、経験の意味を残すところに、書くことの基本的機能があるのだ。》

 《書く行為は、話す行為に比べて、自分がいまやっていることが何かを振り返り、確認しながら進められる。目に見える形でそこに文章が残っていく。それが音声言語にはない文章というもののよさでもある。》

 「スローモーションでフィルムを回すように書く」という考えは新鮮でズバリ自分のしようとしていることではないかと感じた。

 また「記さなければ流れ去ってしまうものを言葉にすることによって〈定着〉させる(後に残るものにする)ことができる、という考えも、当然ではあるが、とても新鮮である。

 時間を超えて後に残る、他の人たちにとって、ということもあろうが、それを読み返す自分にとって、という点でも、定着して残ることは意味深いことなのだ。

 


メモノートの使い方〜〜『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』(美崎栄一郎著)

 毎日(その日その日)、何を考えるのか、何について考えを深め、あるいはまとめるのか、「具体的な小さな課題」を明確にしておかなければならない。

「しなければならない」と思いながら、何一つ手につかない。というよりも、「何をしたらいいのか、何も頭に浮かばない」という状態で、来る日来る日が過ぎてしまうのだ。
 一月ほどまえに読んだ本から、いろいろ貴重なヒントを得た(刺激を受けてぜひこれは実践してみようと思った)はずだが、それをそのまま忘れて遠ざかっている。もういちどあれを呼び戻そう。
 『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』(美崎栄一郎著)
  
 問題はただ1つ。
 当面考えるべき(取り組むべき、或いは発酵さすべき「具体的なテーマ、項目、課題」を書き出すこと、それをメモにして持ち歩き、それについて考える時間をもつこと。

 いってみるなら、自分自身の内部を見ること、内部の方へ目を向けて、そこにあるものを、そこで泳ぎまわっている不思議な魚たちを見極めること。

 いや、むずかしいことはいらない。要するにいくつかの「具体的な項目を拾い出して、それについて考えること、考えることによって深めること。
 深めるというのがむずかしいなら、そこにあらわれてくるものを「見る」こと。
 
 日記を繰ってみると、これを読んだのは11月のこと。遠い昔のことではない。
 
《私はメモノートを、主に「タスク管理」と「アイデア出し」に用いています。
 漠然とした記述では結局何をやるべきかわからなくなってしまうので、「A社の見積金額の件、田島課長に要確認」などと最小単位のタスクとして書くようにしています。
 メモノートは切り離せるのがミソですから、一枚に一行キーワードだけ書くなど、区切りのいい項目だけを入れて大胆に使います。
 アイデア出しは、アイデアを出さなければならない項目やテーマだけのキーワードを書いて、それを通勤途中の電車や路上で時々見直します。
 そうするとアイデアが意外と簡単に生まれます。ポイントは簡単なキーワードに落としてメモすることです。こまごまと説明を書くのではなく、ひらめいたキーワードだけを大きく書き、メモノートに冷凍保存しておくのです。
 大切なことは、メモノートは断片メモやまだ考えが整理されていない思いつきでいいと割り切ることです。これはあくまでもメモの第一段階なので、考えがまとまらないから書くのをやめておこうと思わないことです。とにかく書く。あとで使えると考えて、迷わず記録しておきましょう。……》    

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